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今年3月あたりLAにいる時に、風の便りで村山知義展開催の知らせを聞いた。
「村山知義、あぁ、絵本作家ね」と言ったら、 連れのアメリカ人が「何を言っているんだ、村山はダンサーで『Mavo』の創始者だよ」。 作風があまりにも違い過ぎる。別人か? 後日、展覧会の図録が郵送されてきた。タイトルがスゴい。 『すべての僕が沸騰する——村山知義の宇宙——』 タイトルは村山が書いた「すべての僕の情熱と思想と小唄と哲学と絶望と病気とは表現を 求めようとして具象されようとして沸騰する」(村山知義「過ぎゆく表現派」『中央美術』1925年4月) にインスパイアされている。 村山知義 (1901-1977) は 絵本の挿絵作家、グラフィックデザイナー、劇作家、演出家、 舞台美術家、ダンサー、建築家、画家、小説家、装幀家、映画脚本などなど、大正末期から 昭和にかけて縦横無尽にその才能を発揮。昔でいうところの文人、今でいうところのマルチ タレント。総括するに「前衛芸術家」という肩書きがピッタリくる。と、ここまで書いて、 同時代を駆け抜けた国際的な前衛詩人、北園克衛 (1902-1978) を思い出さずにはいられ ない。北園もまた文人の要素を併せ持った多彩な仕事ぶりで知られる。詩人、写真家、 グラフィックデザイナー、装幀家、編集者とどれをとっても超一流の仕事をしてきたが、 肩書きは一貫して詩人で通した。北園といい、今回の村山といい、昭和の芸術家は多才で 器用であった。 村山を知るきっかけとなる興味の入り口は人それぞれだろうが、700点を超える資料・ 作品から多彩な活動を網羅した初の大規模展覧会に触れ、前衛芸術家村山の新たな 魅力をいくつも発見できることは間違いない。 巡回展最後の世田谷美術館での展示(7月14日-9月2日)最終日に駆け込みで観に行った。 20世紀初頭に生を受け、10代の頃から母親が勤める婦人之友社から短編や童画を発表。 早熟の天才タイプだ。1922年21歳でベルリンに1年間滞在、ダダや構成主義から大いに 刺激を受ける。展示はベルリン時代に合わせて、カンディンスキー (Wassily Kandinsky)、パウル・クレー (Paul Klee)、ジョージ・グロス (George Grosz)、 モホリ=ナジ (Laszio Moholy-Nagy) の作品も! 村山はドイツの政治・社会情勢に無関心だったことから、初めはジョージ・グロスのエログロ表現にしか注目していなかったが、怒りや不信感をユーモアに変える、社会の暗部を風刺した グロスの強烈なアートに次第に目を開かれていく。 帰国後は油彩やアッサンブラージュなどの美術作品のみならず、建築、舞踏、舞台美術、 グラフィックデザイン、美術評論など八面六臂の活躍を見せる。 言っても過言ではない) 舞踏創始者として世界にその名を轟かす土方巽 (1928-1986) より以前に、強烈な個性を 放つトランスジェンダーな舞踏ダンサーが存在していたことに衝撃を受ける。 1923年に前衛美術集団Mavoを立ち上げた村山。同名の雑誌創刊号の展示を見ていたら、 結成メンバーに尾形亀之助の名が!前衛や尖ったアートの対極にいる愛すべきダメ詩人 だと思っていたので大変な驚きだった。北園も短い一時期Mavoに参加していた。 グラフィックデザイナーとしては同時代に活躍した北園の方が上等だと思う。村山は インパクトを狙うあまり、イラストや文字のグラフィックの配置に余白が無い。 北園の方が余裕や遊びがあった。北園は生涯を通じて、次々と新しいスタイルに挑戦した が、村山のグラフィックデザインに関していえば、後年に至っても作風にあまり変化が 見られなかったように思う。とはいえ、ふたりとも戦前・戦中・戦後を駆け抜けた現代の 文人であったのは間違いない。 しかし、収集がつかない程に自由奔放と思われた芸術活動にも、戦争という暗い影が。 村山の手掛ける演劇・映画は社会変革の思想が盛られ、左翼的で社会主義な思想は 国家権力の弾圧に遭う。治安維持法違反で村山は何度も逮捕・投獄され「転向」を 余儀なくされる。戦後も演劇方面で活躍するも、アヴァンギャルドな活動からは遠ざかる。 「牙を抜かれた狼」という意見もあるが、戦争という理不尽な時代の波により活動を制限 された時に、10代の頃から児童雑誌に描いていた絵本の挿絵という原点に戻れたのは 幸せなことだったのでは。 妻の籌子(1903-46)の文章に村山が挿絵をつけていた頃の素敵な想い出も甦ったこと だろう。晩年まで続けた絵本作家の仕事は個人的に村山の最高傑作だと思う。 展示会場の最後に特高に押収されたスクラップブック188冊のうち、代表的なものが展示 されていたが、スクラップブックに関するパネル解説がどこにも見当たらなかった。 村山は20代の頃から自分の仕事に関する新聞記事や展覧会・舞台の批評、写真、チラシ、 パンフレット、ポスターなど演劇に関するありとあらゆる資料をスクラップブックに保存 していた。空襲により自宅が焼失、作品の多くは失われたが、皮肉なことにスクラップ ブックは特高に押収されていた為、戦火を逃れ奇跡的に現存している。村山の多岐に渡る 芸術活動の記録であると共に、大正・昭和史を知る上で貴重な資料となっている。 どうも美術館側は右翼団体を刺激するNGワードを避ける傾向にある (今回の場合は「特高 警察」)。しかしパネル説明も無くスクラップブック現品だけ展示するのは如何なものか。 日本現代美術の歴史を語る上で、戦前・戦中を避けて通れないのは言うまでもない。 日本の前衛アートは近年アメリカでも評価が高まり、ニューヨークやロサンゼルスなどの 主要美術館で相次いで大規模展が開催されている。日本の美術館も勇気を出して史実に 基づき戦前・戦中・戦後の前衛芸術を語って欲しい。
by azzurrotree
| 2012-12-31 03:36
| Contemporary/現代美術
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