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年始に駆け込みで観に行った展覧会『ぬぐ絵画 日本のヌード1880-1945』
(東京国立近代美術館(東西線 竹橋駅)2011年11月15日-2012年1月15日) 企画・構成ともに担当学芸員を中心に、非常に良い仕事をしていたので評価したい。昨年 開催された展覧会の中では3本の指に入るくらい、質の高い展覧会ではないだろうか。 人間の裸を描き、公共の場で芸術として鑑賞するという、ヨーロッパの異文化が日本に 入ってきて、紆余曲折を経て一応の定着を見るまでの過程を、1880年から1945年に制作された絵画約100点で辿る。 展示は3つの章から成り、第一章『はだかを作る』では、主にイタリアやフランスから 19世紀末にもたらされた芸術としてのヌードが、日本に定着するまでの過程を、黒田清輝らの涙ぐましい努力と共に紹介。 第二章『はだかを壊す』では、萬鉄五郎、古賀春江、熊谷守一らが、はだかの解体に乗り出す作業を検証。 第三章『もう一度、はだかを作る』では、安井曾太郎や小出楢重らが解体されたはだかを、再び秩序づけて組み立て直そうとする動きに焦点を当てる。 黒田清輝『智・感・情』(1899年)は何か不自然さを感じる絵だ。 三つの裸体が並び、右から智、感、情を表現している。黒田は肉感的な要素を排除すべく、まず身体を垂直に起こした。裸体を横にすると官能的な連想を鑑賞者に与えかねないという理由からだ。次に胸、腰、脚などプロポーションを全身整形手術の如く徹底的に修正。 八頭身という日本人離れした身体を獲得した裸体は、エロの信管が取り外され、理想化され芸術の高みに到達する。 黒田がここまで執念を燃やして、官能美を取り除こうとしたのには理由がある。 裸体を描く黒田らの絵画作品に、ヌードの鑑賞に不慣れで無理解な日本人が仰天し、騒動を引き起こす。雑誌や新聞への図版掲載が禁止されたり、特別展示室を設けて公開したり、 警察の取り締まりの対象にもなった。 さらに1901年の展覧会で「腰巻き事件」が起こる。黒田の『裸体婦人像』(1901年)が警察の目に留まり、腰から下に布を巻く形で公開されたのだ。限りなく立体的な質感の裸体を実現する西洋絵画の技法で、女性の裸をリアルに、しかも下半身まで仔細に描くのが、問題視されたのだろう。 しかし隠されると見たくなるのが男の性。下半身が布で覆われた作品は、男性客のエロ心を鷲づかみ。スケベ爺さんどもがひっきりなしにステッキの先で布を引き下ろすので、開館直後は胸のすぐ下まで巻かれた布が、夕方には「間一髪」のところまでずり落ちていたというエピソードが残っている。 黒田はこうした日本人の稚拙な鑑賞態度に怒りを覚え、日本の社会に、ヨーロッパ風にヌードを「真面目に鑑賞する態度」を根付かせようとした。『智・感・情』では、普通の肉体を超越した、芸術作品としての裸体画の理想を示そうと力み過ぎて、ぎこちない絵になったのだろう。 日本人がヌードを見て大騒ぎした様子を描いたカリカチュア『日本におけるショッキング』(1895年)はフランスの風刺画家ジョルジュ・ビゴーによる作品。 描かれているのは黒田のヌード絵画を前にして、口をあんぐり開けた人々、一糸まとわぬ 裸体を仔細に見入るエロジジイ、恥ずかしさのあまり着物の裾をまくり上げて顔を隠す女性など、当時の人々の驚きを生き生きと描写している。 ヨーロッパ人にしてみたら、裸の絵で大騒ぎする日本人が不可解で可笑しくてしょうがなかったのだろう。 しかしヨーロッパ人だって、現実味のあるヌードに動揺した時期があったのだ。 例えばマネは『草上の昼食』を1863年のサロンに発表したが、「現実の裸体の女性」を 描いたことが「不道徳」とされ落選。当時、裸体の女性が登場するのは、神話や歴史上の出来事を描いた作品に限られていたため、マネの作品は批評家たちからも批判され、スキャンダルを巻き起こした。 クリムトの代表作『ヌーダ・ヴェリタス(裸の真実)』(1899年)、『ベートーベン・フリーズ』(1902年)は露骨に裸体を表現したことで公開当時、批評家や、保守的な人々、伝統主義者らから「卑猥」「醜悪」などと批判された。 さらにクリムトの『希望I』(1902年)なんて裸体の上に妊婦である。今で言うところの 「妊婦ヌード」の先駆けじゃなかろうか。 ヨーロッパでも生々しい現実味のある裸体を描くのはタブーだったことが分かる。 自分の国を棚にあげて、風刺画で日本人を笑っている場合か!と突っ込みを入れたくなる。 ちなみに、性的趣向が少々異なるが、バルテュスは1934年のパリ初個展で悪名高き 『ギターのレッスン』(1934年)を発表。今見ても過激な衝撃作であることに変わりは ない。絵は奥の小部屋に展示され、ごく一部の限られた招待者のみ入ることが許され、 しかも絵の前には幕が張られる徹底ぶり。 この絵についてバルテュスは「当時、非常に困窮していたので、パリで有名になるには スキャンダルが一番だった」と、要するに功名心と金のために描いたと告白している。 ヌードは世界共通、スキャンダラスな時期があったことが伺える。今も昔も人々の度肝を 抜くアートは「描いた者勝ち」みたいなところがある。実際、黒田も手紙で「悪いどころか必要」「道義上オレが勝ちだよ」などと書いていたようだ。 この時期の日本のヌード絵画がぎこちないのは、明治という時代ゆえだろう。 明治維新、文明開化を経て、列強国の仲間入りを目指す国是が富国強兵を押し進め、帝国主義へと向かわせた。男女の役割固定や、男尊女卑の概念が庶民に浸透したのも明治時代と言われている。そんな明治の堅苦しい風土とヌードは合わない。 西洋の写実の技法を取り入れた明治の文化で、日本女性には主張する自由も無ければ、脱ぐ自由も無かった。男性の前では女性は絶対服従、男性の言いなり、セックスはおざなり。 女性の裸体を前に賞賛の言葉を浴びせ、跪いて崇拝する明治男などいなかったのが、ヨーロッパとの決定的な違いだろう。男女共に自由で、性におおらかだった江戸時代の春画の方が女性たちが艶やかで色っぽい。警察の取り締まりを敬遠して、どう描けばセクシーに見えないかという、本末転倒な技法を試行錯誤した明治の画壇。そんな規制の中で描かれたヌード絵画には女性を賛美する気持ちも現れず、裸体の魅力を全く感じない。 西洋のヌード観という幻想にしがみつく画壇。 川のほとりで水浴、あるいは草原で戯れる全裸の女性たち、という図は当時の日本では あり得ないシチュエーション。大きく開け放たれた窓際で、全裸で椅子に腰掛けて髪を梳いたり、ソファーに寝そべったり、そんなリラックスできる風潮もなかったろう。 そんな文化の「相容れなさ」に見切りをつけた安井曾太郎の絵は潔い。 『画室』(1926年) 安井は「私のレアリスム」という文章で次のように宣言している。 「自分は以前日本人の水浴図、などを描いたこともあったがそれは過去だ。今はそれに反対である。もし裸の女を描くのだったら、画室の中でモデル賃をもらって仕事している本当のモデルを描く。そして現代のモデルを描く」をそのまま形にしたのが上の作品である。 迷いが吹っ切れ、開き直った感がある。 アンドレ・ブルトンが宣言したシュルレアリスムの、さらに上をいく超シュールな安井の絵に爆笑しつつも賞賛の嵐。私の中で安井曾太郎の株が一気に上昇した瞬間である。 現在の裸の表現は絵画から、写真・映像といった他の媒体に移行したように見える。 タブーがなくなりつつある社会で、現代アートは芸術としての裸をどのように表現できるのだろうか。そして、ヌードという、かつて危うかった芸術のジャンルはどこに向かうのだろうか。 展覧会は、章立ても、絵の解説も非常に分かり易く、文章のあまりの平易さに、中学生を対象にしているのでは、と思ったくらいだ。(中学生の団体を呼び込んでいる気配はなかったが)もしこの展覧会が、対象年齢を中学生に設定しているなら、あるいは美術の課外授業で生徒達に展覧会に来てもらうことを目的としているなら、日本の学校の美術教育に一石投じる挑発的で画期的な企画だ。むしろ小中学生のうちから「芸術としてのヌードを正しく鑑賞する態度」を身につけて欲しい。
by azzurrotree
| 2012-01-28 11:39
| Japanese Art/日本美術
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Comments(2)
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ハミルトン 腕時計 バンド
at 2013-09-26 20:26
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azzurrotree at 2013-09-28 19:28
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