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有閑マダムよろしく美しいものに囲まれてボンヤリしようと、伊勢丹上階の美術館へ。期待していなかったが、展示数約150点という充実した内容に予想外の驚きであった「ミュシャ展:運命の女たち」@美術館「えき」KYOTO (2017年10月14日〜11月26日)。
アルフォンス・ミュシャ(1860-1939)の名前は知らなくても、どこかで絵やポスター作品くらいは目にしたことがあるのではないだろうか。それくらいミュシャの優雅なアール・ヌーヴォー作品は日本で知られている。 パリの華やかな時代「ベル・エポック」を象徴する舞台女優として人気を博したサラ・ベルナールの公演ポスター「ジスモンダ」(1894)を手掛けて一躍有名画家になったミュシャ。 実際のサラ・ベルナールは絶世の美女というわけではないが、ミュシャの手にかかると威厳とカリスマ性を備えた雰囲気美人になる。 ベルナールはジスモンダのポスターを気に入り、1896年のニューヨーク公演でも採用している。このポスターをデザインしたことで、ミュシャはベルナールと5年契約を結び、ポスターを始め、衣装やジュエリー、ヘアスタイルから舞台装置まで手掛ける。今で言うところの総合プロデュースである。 アール・ヌーヴォの旗手として世紀末にパリで活躍した名声はアメリカにも伝わり、ミュシャは1904年〜1910年までアメリカに招聘される。 美術教師と並行して雑誌や広告デザイン、壁画制作の仕事をしながら、故国チェコを想い壁画サイズの連作『スラブ叙事詩』の構想を実現すべく、アメリカで資金集めとパトロン探しに奔走する。 1910年にチェコに帰郷、20点からなる『スラブ叙事詩』の制作に着手、完成に17年を費やした。スラブ民族というアイデンティティに自身のルーツを見出した大作である。チェコへの愛国心から、チェコスロバキア共和国設立時は紙幣や切手、国章のデザインを無償で引き受けた。 展示の中で特に面白いと感じたのは、モデルに長時間ポーズをとらせるのはお金がかかるので、自らモデルを写真に撮ってデッサンに活用していたというエピソード。カメラは普及してきたとはいえ、まだ白黒写真だったことから、画家にとっては仕事を奪われる脅威となるほどの性能に至っていなかった。むしろカメラという文明の利器を積極的に取り入れて効率化を図る画家の姿勢に感心。 娘のヤロスラヴァに衣装を着せて、棒を持たせてポーズをとった白黒写真は、ミュシャの想像力の翼でハープを奏でる少女の幻想的なイメージに大変身。ヤロスラヴァのブルネットの髪は、白い花輪で飾られたブロンドヘアに。ミュシャのファンタジーの世界観の構築力には驚かされる。 会場を一周して美しい作品の数々を堪能できたが、最後の方は少々飽きがきた。人気絶頂の頃から最晩年の作品まで作風にこれといった大きな変化がないのだ。ただ美しいだけで、毒もなければメッセージ性もない作品といえる。美しい女性、パステルカラー、咲き乱れる草花、曲線を多様した装飾的デザインといったモチーフの反復と変奏で華麗なファンタジーを描き切ったミュシャの作品は、しかし日本で高い人気を誇っている。 そういえばアメリカでミュシャを好きなアーティストに挙げる人に会ったことがない。アメリカでは典型的で大衆的な商業デザイナーの位置づけなのかもしれない。ミュシャの人気に日米で温度差があるように思う。 ミュシャの曲線的なデザインやタイポグラフィを見ていると、アメリカで60年代に興隆したサイケデリックアートをどうしても思い出してしまう。退廃的と称されたアール・ヌーヴォー様式はいったん廃れるが、60年代のアメリカで個性的なタイポグラフィ、豊かな装飾性ともてはやされ復活を遂げたのだった。そういう意味でミュシャのスタイルはアメリカの文化に深く浸透し過ぎて没個性になったきらいがある。 展覧会では年譜で触れていた程度だったが、最晩年の1939年春にドイツがチェコスロバキアを占領した時に「国民の愛国心を刺激する」反動主義とみなされ、しかもユダヤ系だったミュシャはゲシュタポに捕えられ激しい尋問を受ける。その後釈放されるも獄中で患った肺炎が悪化して数ヶ月後に79歳でプラハで死去。ナチスの拷問まがいの尋問がミュシャの死期を早めたのは間違いない。 1930年代はファシズムの嵐がヨーロッパを席巻していたはず。 危機を察知してチェコを離れることも可能だったのに国外に逃れなかったのは、愛国心ゆえか、それとも老齢ゆえ逃げ遅れたか。画家として商業的にも成功を収めたのに、最晩年に悲愴な最期を迎えてしまったのが残念でならない。
by azzurrotree
| 2017-11-19 20:00
| Paintings/西洋絵画
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