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国立国際美術館で開催中の展覧会「トラベラー:まだ見ぬ地を踏むために」Travelers: Stepping into the Unknown(2018年1月21日〜5月6日)を紹介しようと思ったが、展示の方法があまりにも手抜きだったので、美術館の展示の未来はどうあるべきかについて、考えてみたい。 本展は第2部で構成されており、それぞれ説明が日本語・英語・中国語・韓国語と多言語だったところまでは良かった。 しかし実際に展示を鑑賞し始めると、そこには大きな欠落が。 壁の展示は大竹伸朗の一連のコラージュ作品だが、アーティスト名や作品名、解説を記したパネルは見当たらない。100点近くある他の作品も同様にパネル説明はない。上の写真を見てわかるように、別に壁にパネルを設置する余裕が無いわけではない。むしろ壁の余白は有り余るほどある。 入り口で代わりに渡されるのが出品作品のリストだが、数ページに渡る紙のリストには各展示室のイラストと、アーティスト名、作品名、制作年、技法、材質、サイズが小さな字で列挙してあるだけ。作品解説は皆無だ。展示室のイラストと各作品リストには番号が振られているが、実際の展示室の壁には番号さえ書かれていないので、リストと作品を突き合わせたくても、どの作品がどのアーティストによるものなのかすら、探し当てるのが難しい始末だ。 例えば小さなギャラリーで10点ほどの展示なら、作品リストを紙で渡されても許せるレベルだが、地下3階建に100点ほどの作品を並べておいて、各作品のアーティスト名やタイトルを紙のリストといちいちマッチさせなくてはならない苦労を観賞者に強いるのはどういう理由だろうか。 パフォーマンスアートなら、解説を読むよりも直感的にパフォーマンスを体感する方が分かり易い場合もあるが、現代アートの展示は「コンセプトありき」の作品も多い。つまりキュレーターによる作品解説を読んで初めて作品の意図を理解できる場合が多いのだ。 「現代アートの面白さ」に鑑賞者を開眼させるのが作品解説パネルの意義であり、キュレーターの腕の見せ所ではないだろうか。アーティスト名や作品名、作品解説を全く展開しないのは美術館の怠慢でしかない。 近くにいた係員に作品パネルを壁に置かない理由を訊いてみると、信じられないような答えが返ってきた。 「若い人や外国人は作品名や解説を読まないので、最近はこの展示スタイルが主流になってきている」 これが国立国際美術館の総意だとしたら、鑑賞者の知性の度合いをバカにしているとしか思えない。鑑賞者の知的欲求に応えてくれない展示に、美術館の未来はない。 確か東京の国立美術館は、会場にQRコードを設置してスマートフォンでかざすだけで作品情報や解説文をダウンロードできる方法を最近導入したはずだが、同じ国立美術館でも大阪の国立国際は時代に逆行しているのだろうか。 ただスマートフォンで情報を引き出せるのは確かに画期的なアイデアだが、すべての人が所持しているわけではないのが現状だ。音声ガイドや図録同様、あくまで補助的な要素であって、やはり従来の作品名および解説パネルを作品に添えるスタイルはまだまだ必要ではないだろうか。 特に国立美術館である以上、年齢、経済状況、障害の有無、外国人などあらゆる環境下に置かれた人々に対して、提供できる手段を尽くして開かれた展示を目指すのが理想だろう。多様な来場者に対して知識の出し惜しみをすべきではない。 コレクション展なのに、ほとんどの作品が写真撮影不可なのも相変わらずガッカリである。 撮影できた作品に関しては、下に短く紹介しておきたい。 実はこのRobert Rauschenberg(ロバート・ラウシェンバーグ)の大型インスタレーション目当てではるばる京都からやってきたのだが、まさかのハプニングが! 5枚の自動ドアで構成された作品で「機械の脆弱性」により長らく展示できなかったのが、大規模修復により蘇ったとのことで楽しみにしていたが、早速不具合が発生。壊れる可能性を考慮して会期早めに来館したのに、ただただ筆者の運が悪かった……。 絵画や版画、写真、彫刻にファウンド・オブジェクト (found object) と呼ばれるいわゆるゴミや廃材を組み合わせることで、個々のモチーフが本来の文脈や意味合いから変質を遂げ、思いもよらない様相を見せる実験的な制作はcombines (結合) と呼ばれ、Rauschenbergは1950年代に一連のcombines作品を発表して有名になる。 同じネオ・ダダ仲間のジャスパー・ジョーンズ (Jasper Johns) やサイ・トゥオンブリー (Cy Twombly) と違い、Rauschenbergはアートとテクノロジーの融合にも果敢にチャレンジしていた。 「至点」は自動ドアと床と天井を照らす照明を取り入れたインスタレーションで当時最先端の技術を用いていたのも画期的だが、鑑賞する人々が自動ドアを通り抜け作品の中に入ることで作品として完成するというコンセプトは、SNSの時代を反映して近年増えてきた展示形式「観客参加型アート」や「インタラクティブアート」をかなり先駆けていたといえる。 作動していなくても、アクリルパネルにシルクスクリーン印刷で刷られた蛍光色の版画が見応えがあって、まさに「インスタ映え」しそうなポップアートである。 本展のプレスリリースでRauschenbergの展示作品を「幻の」と銘打っているが、作品を購入後40年近くも収蔵庫に放置していたのだから、貴重な作品を「幻」に仕立て上げるのはちょっと苦笑モノである。 絵画や彫刻など「静的」な性質の作品以外の、旧来の美術館の性質に馴染まないパフォーマンスをはじめとする動的な作品形態をどう扱ったものか考えあぐねていた感があるが、国立国際美術館でもそのことを自省して今回のコレクション展になったのだろう。 いろいろ文句ばかり並べてしまったが、国立美術館の所蔵作品はどれも美術的・歴史的価値が高いものばかりなので、今ある8,000点の所蔵作品の活用方法を模索する今回のコレクション展は、未来の展覧会のあり方を考える意味では有意義な企画だと思う。もう少し鑑賞者フレンドリーな展示を期待したい。
by azzurrotree
| 2018-02-04 04:47
| Contemporary/現代美術
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