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若手アーティスト札本彩子と祐源紘史による二人展「星を見上げるパイ:想像と行為のその先」@ Gallery PARC(2019年1月18日〜2月3日)がなかなか面白かったので紹介したい。
まずは札本彩子の作品から。まだ若く可愛らしい外見の作家と、グロテスクな作風にギャップがあるところがすでに面白い。マクロで作品の全体像を見るとポップアート感満載で楽しいが、ミクロで見ると一つ一つの食品サンプルが異様にリアルで不気味さを感じずにはいられない。 一頭の牛が、食肉、加工肉、牛乳やチーズといった自らの生産物に溺れているように見える。美味しそうな料理をSNSにあげるフードポルノという言葉が一時期流行ったが、食欲はまるでそそられない。 鑑賞者が肉好きだったとしても、美味しそうを通り越して肉の集積が大量廃棄物のように迫ってきて、おぞましく醜悪ですらある。これはかつて生き物だった食肉の怨霊なのだろうか。 食品サンプルをどこか工場から大量購入してアッサンブラージュしているのかと思いきや、肉一片からすべて自作、手作りしていると聞いて驚愕。 日本の食品サンプルの高度な製造技術を体得したアーティストは、ポップアート界においてもはや敵なしではないだろうか。 通常の作品サイズなら制作期間2ヶ月半を目標に作っていると話してくれた。観る者によっては過激な菜食主義者による攻撃的なアートに映るかもしれないが、本人は別にヴィーガンでもヴェジタリアンでもないそうだ。 弟から箱いっぱいの生きたエビが届き、格闘しながら鍋で茹でるエピソードが記されたパネルの横に展示された作品が、奇想天外なアイデアで驚かされる。 「大量のエビを鍋で茹でる」がオールインワンになった、ある意味究極のビジュアル表現。「首塚」というタイトルもおどろおどろしいが、生きたまま茹でてしまったエビの供養という意味も込められているのかも。 次に紹介するのはケンタッキーフライドチキン (KFC) を食べた後に残った骨を使った祐源紘史による一連の作品。 鶏供養菩薩シリーズはシュールなポップアート。これはKFC愛なのか。 いただきますと手を合わせるくらいはするだろうが、鶏の供養までは思いが至らなかった。日本文化の根底に流れる仏教思想を、まさかアメリカ発のファーストフード店の主力商品ケンタッキーフライドチキンの骨に見出すとは。 しかし今の飽食の時代に生きる人間は菩薩にすらなれそうもない。菩薩として苦行を重ね、ニルヴァーナ(悟り)に至るのは実は鶏の方なのかもしれない。 鶏の骨で作った人骨のコミカルな造形の中に、人間による殺生の結果であることがひと目で見て取れる秀逸な作品。 頭蓋骨を彫り出せるほど太い骨はさすがにないので、パーツごとに彫って接着して頭蓋骨を組み立てている。歯とか顎の骨を彫るのは細かい作業である。 ひとつの作品を作るのに60ピースくらい食べて骨を集める、と話してくれた。コレステロール過多が心配になる、なかなか体を張った作品である。 「カーネル・サンダースの呪い」の残像のような作品も。 油絵なのかな、と思って訊いたら、同じ油でもフライドチキンから出た油で描いた絵と聞いて、思わずのけぞった。水墨画のように油だけで濃淡までつけているのが、また笑える。 アメリカにKFC記念館や博物館があるなら、彼の作品を収蔵すべきだろう。あるいは道頓堀に投げ込まれた「カーネル・サンダースの呪い」像と共に日本のKFCオフィスに展示希望。 作風は違えど、両アーティスト共それぞれ牛と鶏という動物、人間にとっての食肉を作品のテーマにしている。食肉の大量生産、大量消費、食品ロス、大量廃棄、と畜産の現場から食肉が我々の食卓にのぼるまでのルートを冷静に辿ると、どうしてなかなか残酷で生々しい。食べるという行為は実はグロテスクなのかもしれない。 日本のコンテンポラリーアート、特に日本の若いアーティストの作品はただ美しい、あるいはただ可愛いばかりでメッセージ性が弱いと思っていたが、こんなパンチのあるポップアートで独自の死生観とユーモアを表出する作品を発表するアーティストがいることが分かって、今後の日本アートシーンに期待が持てる。海外での活躍も大いに期待したい。 入り口に展示概要を説明したパネルはあったが、各作品についての詳しいパネル解説は無かった。鑑賞者が各自で好きに解釈してくれたらいいというキュレーションの方針なのだろう。確かに周りが勝手に定義づけしてくれる、様々な解釈な可能なアートではある。 最近、展示作品のテーマやコンセプトを説明しない展示が増えているが、パネル説明がないと展示の方針や方向性、キュレーターの解釈も見えてこない。今回は京都精華大学の学生さんによるキュレーションの実習ということで、作品展示については工夫を凝らしていたが、パネル説明については国内外の展示を見てもう少し勉強して欲しいカモ。 エビ作品に関するパネルがなぜかひとつだけあったが、中途半端な英語が気になった。せめてネイティブチェックを入れて欲しい。展示に限らず英語のスペルミスや文法の間違いは未だに日本中至る所に散見され、もはやジョークと化して笑いが取れるレベルだが、なぜ英語圏のネイティブチェッカーによる確認を怠るのか。どうせ日本人しか展示を観に来ないと思っているなら、それはキュレーター側の怠慢でしかないし、海外進出が狙える優秀なアーティストの足を引っ張りかねない。 祐源紘史の「鶏供養菩薩」は日本人ならタイトルからすぐにコンセプトが分かるが、英語の説明がないと、外国人には意図が見えてこないので、作品の魅力が半減してしまう。二人のアーティストの魅力をどう世界にアピールし、プレゼンテーションしていくのか、そこはキュレーターの仕事ではないだろうか。 しかし札本氏と祐源氏の二人展を企画したのは大成功、強烈にインパクトのある展示になった。
by azzurrotree
| 2019-01-20 19:42
| Contemporary/現代美術
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