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今年もKYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭(2019年4月13日〜5月12日)の季節がやってきた。毎年パスポートを購入しているが、会場を回り切れた試しがない。しかし今年は規模がコンパクトになったので、ひょっとしたら開催史上初、チケット代の元が取れるかも(笑)。
1日目は3ヶ所を回って1番良かった展示、Weronika Gęsicka(ヴェロニカ・ゲンシツカ)を紹介したい。 ポーランドの新進作家ヴェロニカ・ゲンシツカの展示は、1950-60年代のアメリカのストックフォト(広告用に使用されるであろうシチュエーションを予め撮影し用意した写真素材)を用いたモンタージュ作品シリーズ “Traces” から大小30点ほどの写真で構成されている。 ぱっと見、下手なPhotoshop加工にも見えるが、作品を何点が見ていくうちにアーティストの意図が浮かび上がる。 典型的な白人中産階級の家族の団欒に見えるが、テレビを食い入るように見る、というより画面に顔を密着させた子供たちの脚がグロテスクに伸びている。写真を記号学的に分析すると、テレビやソファーといった調度品は経済的な豊かさを象徴していて、壁に掛けられた絵は知的レベルや洗練度を表している。 経済的に豊かで幸せを絵に描いたような家族像は、第二次世界大戦後、層に厚みが出てきた中産階級の購買力をターゲットにしたメディアの巧みな広告戦略だったが、「理想の家族」という作られたイメージは一般大衆に広く浸透していき、誰もがその価値観を疑わない古き良き時代があった。 クリームか牛乳を楽しそうに注ぎ合う家族。男性はネクタイを締めて働き、女性はエプロンをして家事をするという男女の社会的役割の固定化が見られる写真だが、幸せな家庭を演じる裏で夫婦が日頃の不平不満を互いにぶちまけている図にも見える。 豊かさの指標を記号的に読み解けるこれらの写真素材は芝居がかっていて、アート作品に使うには安易過ぎる気も初めはしたが、このPhotoshopの不自然な加工具合が、完璧な家族の「不自然さ」を視覚化していることに気づき、作品を見た後にじわじわくる。 ゲンシツカはアメリカの作られた「理想の家族像」の歪みやウソ臭さを、シュールに暴いている。健全な家族は幻想で、どの家族にも大なり小なり闇があるのが普通だろう。24時間充実していて何の悩みもない完璧な家族をスタンダードとして提示することの「気味の悪さ」を時にコミカルに、また時にグロテスクに表現している。 この作品についてキュレーターは会場のパネル説明で、「この作品は男性優位の社会において女性であることの悲惨さと、1950年代のアメリカにおいて典型的であった(そして未だに世界中の多くの国において現存する)女性蔑視の文化をリアルに表現している」と言い切っているが、少々こじつけっぽく聞こえる。もっと多様な解釈を許す余地があってもいいのではないだろうか。 例えば筆者が思うに、この一見幸せそうな男女は夫婦かもしれないし、恋人同士かもしれないが、誰か別の女性のお面をかざす行為は、男性の浮気や不倫を暗示しているようで、その演劇的でコミカルな手法に可笑しみを感じる。 シリーズ全体を通して見ても、女性蔑視だの性的搾取だと糾弾する明らかな批判は見られない。むしろ1950年代の「理想の家族像」から、インスタグラムなどのSNSが興隆する現代へと綿々と続いてきた完璧な人生を求めて必死な人々の狂騒を、アメリカの外から客観的に眺められる冷静さが、作品に面白みを付加しているのではないだろうか。 仕事から戻った父親に駆け寄る子供たち、と思ったら敷石の歩道から芝生から深い亀裂がぽっかりと口を開けている。郊外の一軒家に青い芝生は、典型的な白人中流階級のイメージである。 一連の作品は、なんとなくティム・バートン (Tim Burton) 監督が手がける映画の雰囲気にも似ている。バートン監督も郊外を下敷きにした映画を繰り返し作っている。アメリカのホームドラマや広告のイメージに感化された人々は郊外に家を買い、車や家電を買い、テレビの中の豊かで楽天的なライフスタイルを完璧に再現しようとする。完璧な生活を送り、凡庸な平和と秩序を維持する人々の中にバートン監督は不完全さや偽善を見出し、後にダークユーモアに溢れたゴシックでダークファンタジー調の映画を数多く制作した。 1950年代の広告用写真素材の中にアフリカ系アメリカ人の家族があること自体、珍しいかも。日本のアーティストは新旧問わず白人のモチーフしか作品に使わない傾向にあるが(一種のホワイトウォッシング)、その点ではゲンシツカは分け隔てなく公平に素材を選んでいると思う。 時代こそ違えど、自撮り写真で完璧な人生を演出するインスタグラムと、1950年代の広告用のストックフォトは、偽りの完璧さを求めるという意味で共通している。「幸せな家族」や「理想の生活」「完璧な自分」は実は虚構だと多くの人が知っているのに、それでも人々はストイックに完璧なイメージを追い求めてしまう。時代に関わらず承認欲求という意識は常に存在し、一過性のものではないことが良くわかる。 そういう意味でゲンシツカのウィットとユーモアに富んだ作品の批判性は現代にも通用するだろう。
by azzurrotree
| 2019-05-03 01:47
| Photography/写真
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