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『濱谷浩&山本悍右展』開催時に、著者がGetty美術館のキュレーターにインタビューした記事が Kyoto Journal という京都発のオンラインマガジンに掲載されましたー!
![]() 展覧会期間は2013年3月26日〜8月25日で、出稿したのは7月下旬、なのに掲載されたのは年も変わった2月下旬って……。季刊誌とはいえ、ずいぶん気が長い。しかしこんなロングインタビューを全文掲載してくれる媒体も他にないので、大いに感謝。 定期購読型の有料ウェブマガジンのはずだが、なぜか普通にアクセスできることが判明したので、本ブログでも取り上げておきます。ラッキー♪ 記事タイトルは Behind the Folding Screen of "Japan's Modern Divide" タイトルの大意は「展覧会 "Japan's Modern Divide" の裏側」に迫る!という感じで、エキゾチック・ジャパン風に「屏風の裏側 」(Behind the Folding Screen)としてみた。 展覧会の概要を軽く説明した後に、Getty美術館・写真部門のシニア・キュレーターJudith Kellerと、アシスタント・キュレーターAmanda Maddoxの両氏に1時間半ほどいろいろ質問した内容をほぼノーカットで掲載している (2013年6月11日)。 展覧会については以下に挙げる過去記事ですでに解説済↓↓↓ 山本悍右x濱谷浩展@Getty美術館 山本悍右x濱谷浩展Opening@Getty美術館 『濱谷浩&山本悍右展』報告会 なので本記事では、他の視点でチョット面白い箇所をpick upして以下に要約したい。 <MFAHのキュレーターが来てくれた!> Keller氏はヒューストン美術館 (The Museum of Fine Arts, Houston: MFAH) の写真部門キュレーターのAnne Tuckerが『濱谷浩&山本悍右展』を観に来てくれたのが嬉しかったと話している。Tucker氏は、2005年に日本写真史の全体像を包括的に紹介した展覧会 "The History of Japanese Photography" (MFAH)を手がけている。「(当時米国でマイナーだった) 日本写真史という分野を先陣切って紹介したヒューストン美術館に続く美術館が出てきて喜ばしい」とTucker氏に声を掛けてもらったのがよほど光栄だったのだろう。大御所キュレーターAnne Tucker女史の美術界に与える影響力が垣間見られるエピソードである。 <作品管財人に感謝!> Keller氏は本展覧会を開催できた重要なポイントとして作品の管理者の存在を挙げている。欧米よりも写真の美術的価値が長らく低かった日本において、戦前から戦後にかけて制作されたネガや作品、その他多くの貴重な資料を維持・管理し続けるというのは相当に大変なことだとキュレーターも良く理解している。長年に渡り良好な保存状態で写真を管理してきた作品管財人の二人(濱谷側は多田亞生氏、山本側はご子息の山本俶生氏)に特に感謝の意を表明している。各写真家の作品や時代背景について造詣の深い両氏から惜しみない助言と協力が得られたからこそ、展覧会開催に漕ぎ着けられたと語っている。 <日本語ワカラナイ〜> 展覧会の準備にあたり最も困難だった点を訊いたところ、意外にもKeller、Maddox両氏とも言語に苦労したと明かしている。資料を読み込もうにも英語の研究書や文献はほとんど無い状態。特に山本悍右に関する資料のほとんどが日本語なのに加え、日本の前衛写真について書かれた文献も少ない。これまで山本について詳しく書かれているのは山本悍右研究家のJohn Solt氏による英語・日本語のエッセイくらいだろう。日本語と言う言語の壁を表現するのに「私たちはJohn Soltじゃないのよ!」と真面目な顔で言われたので、思わず笑ってしまった。山本の詩はSolt氏が英訳し、俶生氏が提出した山本の日記は翻訳者を雇い英訳、濱谷についての詳細は多田氏に何度も問い合わせたそうだ。 <タイトル決めるのもひと苦労> 展覧会タイトル "Japan's Modern Divide: The Photographs of Hiroshi Hamaya and Kansuke Yamamoto" を決める際の苦労話も聞かせてくれた。濱谷、山本共に、米国ではあまり知名度が高くないので、タイトルをひと目見ただけで、日本の写真であること、また20世紀半ばに近代化で揺れる日本で、革新か伝統回帰か、その二極化を代表する二人の写真家の展覧会であることがすぐ分かるようにあれこれ悩んだそうだ。またマーケティングや広告の面からも、メインタイトル (Japan's Modern Divide)には短さを要求されたと明かす。このマーケティング戦略は、街中に立てられる広告バナーや、展覧会図録の表紙にまで及ぶ。Gettyほど規模が大きな美術館になると、歴史的に意義があるという理由だけで採算度外視な展覧会は開かない。必ず商業的な成功を狙ってくる。タイトルひとつ、表紙の写真ひとつ決めるにもマーケティング部門が介入してくるとは。アートがビジネスに直結している米国ならではの事情だ。 <同じ国とは思えない〜!> 濱谷浩が撮り続けた裏日本の写真に、日本人はある種の懐かしさや郷愁を感じるだろうか。あるいは都会育ちの若者なら、同じ国なのにまるで異郷を見ているようだと驚愕するかもしれない。アメリカ人にとって「裏日本」にあたるような、懐かしい情景や異世界のように感じる地域はあるのだろうか。Keller、Maddox両氏に挙げてもらった。 Maddox氏は、ニューヨークでWilliam Egglestonの個展を観たAnne Tucker女史の話を引用してくれた。(アメリカ南部の)スーパーマーケットや、庭の土がむき出しの郊外の家々の写真をTucker女史の隣で観ていた女性が驚いた様子で「まるで異国みたい」と漏らしていたそうだ。 Keller氏も南部と言えば、と後を続ける。テネシーや、ミシシッピー、ジョージアの一部、ルイジアナといった州は、米国の他の地域とはずいぶん趣が異なる。シカゴ出身の父親もかつて彼自身の父と南部に旅行に行ったが、あまりにも辺鄙な町でびっくりしたと話していたのを思い出したとしみじみ語ってくれた。 濱谷も東京の都会育ちなので、裏日本の光景は懐かしいというより「日本にもこんな習慣が残っているだなんて」と驚きに満ちていたに違いない。濱谷の撮るリアリティは、米国人の鑑賞者だけでなく多くの日本人にとってもすでにシュルレアリスムの様相を帯びている。そう考えると濱谷と山本の二人展は案外「水と油」でもなく、並べて展示しても違和感が無いのかも知れない。 <アジア圏のアート写真の動向について> Gettyの写真部門は5、6年前から日本、中国、韓国といったアジア圏の写真のコレクションを強化している。Keller氏の解説によると、中国で写真は比較的新しい分野で、ここ15年ほどでアートとして認知されてきた。韓国も政治的抑圧の影響で、現代アートの市場が伸び悩み、アート写真の分野はやはり比較的新しい。しかし日本におけるアート写真の歴史は長く、素晴らしい作品が多く生み出されてきた。 Maddox氏は日本写真の歴史の長さと、日本のギャラリーや美術館の数は必ずしも比例していないと話す。写真に特化した美術館 (東京都写真美術館) が開館したのは僅か20年前で、アート写真の市場も日本には育っていないと指摘する。しかし1990年代以降、徐々に写真を扱うギャラリーや展覧会も増えてきた。日本は多くの優れた写真家を排出してきたにも関わらず、これまで個展や展覧会の機会が少なかったが、最近になってようやく写真家たちの作品が認知され、広く紹介されるようになってきたのは良い傾向だと分析している。 <米国で日本戦後アート展が花盛り> 2012年あたりから米国の主要美術館で戦後日本美術を取り上げた展覧会が急に増えた気がするが、もちろん伏線がある。Keller、Maddox両氏は日本の戦後アートは常に注目に値する存在だったが、何事にも時間がかかるものだと話している。1970年代にフランスで日本の前衛アートを取り上げた大規模展覧会があり、1990年代から、欧米の展覧会で少しずつ取り上げられるようになり、ここ数年は米国西海岸・東海岸の両側で「日本・戦後・前衛」がキーワードの展覧会が一気に花開いた。周期的に欧米の美術館やギャラリーで取り上げられていくなかで、日本の前衛アートを学ぶ研究者や日本戦後アートに詳しいキュレーターが米国内に確実に育ってきたのだろう。山本悍右はまだまだ研究の余地がある写真家だと思うし、同時代の戦前・戦後の前衛写真もさらに研究が進むことを願う。 <日本の写真は今後も要注目!> Getty美術館のポリシーとして、同美術館のコレクションをメインに展覧会を組み立てる、つまり収蔵作品が無いアーティストの展覧会はやらないということだ。インタビューした時点で日本人写真家20名ほどのコレクションを所有していたGetty美術館。今後も日本人写真家の展覧会をいくつか構想しているようで、現在は杉本博司展 "Hiroshi Sugimoto: Past Tense" (〜2014年6月8日)を開催中。今後の写真展にどの写真家が取り上げられるのか、注目したい。 ▲
by azzurrotree
| 2014-03-07 02:05
| Articles/掲載記事
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北園克衛展 "Kitasono Katue: Surrealist Poet" 開催中のLACMA美術館のブログに、著者の英文記事が掲載されました。
タイトルは "Geometric Installation Mirrors Kitasono Katue's Sensibility"(幾何学的な展示が映し出す北園克衛の感性) ![]() 英文記事を以下にさらっと解説: 展覧会で存在感を放っていた楕円のディスプレー・テーブル。完璧な楕円形ではなく、アシンメトリーというか有機的というか、ちょっと不思議な造形をしている。LACMAキュレーターのHollis Goodallにインタビューした際に訊くと、6つくらいあるテーブルは北園展のためだけに特注したもので、楕円テーブルの形は北園がプラスティックポエムと呼ばれる写真や、詩集・雑誌の表紙デザインによく用いた石ころの形をモチーフにしているそうだ。 ![]() ![]() 北園の編集・デザインによる詩誌VOUも壁に整然と並べられると、日本の伝統色を踏襲した配色、文字の配列、小さなフォントの多用に北園独自の美学が貫かれているのが一目瞭然である。グラフィックデザイナーにとってレイアウトに欠かせないグリッド (文字や図形の構図配置の基準となる格子線) を使わないのも特徴的だ。余白という空間に、いかにバランス良く文字やデザインを配置するか、すべては北園のセンスにかかっていた。 ![]() 北園の美意識を再現した質の高い展示に加え、無料で配布するパンフレットですら決して気を抜かない。LACMAデザイナーDavid Karwanは北園を研究し、斬新で遊び心を忘れず尚且つ洗練されたパンプレットを作ってみせた。← 過去エントリにパンフレットの画像多数アリ。 北園は、詩、グラフィックデザイン、写真と、その活動は多岐に渡ったが、それぞれのジャンルで評価のされ方が異なるのが興味深い。北園のグラフィックデザインは昔から熱狂的なファンが多く、高橋昭八郎、杉浦康平、浅葉克己といったデザイン界の巨匠たちからも尊敬され、高く評価されている。 ![]() 一方で北園の詩は過小評価されてきた感がある。時に斬新過ぎる詩のスタイルは、意味を成さず、感情が無く、解釈に苦しむと当時の詩壇から敬遠されてきた。詩の評価が高まってきたのは本当にここ数年だろう。今では若い世代から、シンプルで軽い詩、意味も感情も無いのが良い、と昔と全く同じ理由で好意的に受け止められているのが面白い。例えば『単調な空間』(1959)という詩は、助詞の「の」が行頭に来る、1行が極めて短い、動詞が極端に少ない、と詩や文章のルールから大きく逸脱した掟破りの詩だが、テキストを当時の縦書きから横書きにして、パソコン画面でスクロールしながら読むと途端に読み易くなる。デジタル時代を予見していたとしか思えない詩だ。 北園は自身の写真作品を「プラスティックポエム」と命名する。新聞の切れ端、針金、紐、石などを組み合わせ写真に収め、言葉に拠らないビジュアル・ポエトリー (造形詩) を発表し、国際的にも高い評価を受けた。北園のプラスティックポエムの精神は後年のアーティストにも確実に受け継がれている。LACMAで同時開催中の写真家 John Divolaの展示にも、何の変哲も無い日常的な素材を組み合わせてポラロイドで撮影した作品がある。言葉を介さずポエジーを現出させる手法は今日においても広がりを見せている。
詩をアートの域に高め、アートを詩に純化させた北園克衛の、ジャンルの垣根を跳躍する活躍は今後ますます評価が高まるだろう。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - はっ、英文記事をほとんど全訳してしまった! LACMAの別館 Japanese Pavilion (日本館)で開催中の北園克衛展。日本館の建築・展示空間とマッチした斬新かつ優美な作品展示、そして北園の美意識、総合的なバランスが完璧な展示風景を生み出していたのが印象的だった。 それにしても会期が12月1日なので、終了前に記事が掲載されたのは何よりだった。 展覧会終わったらテーブルどうするんだろ? テーブルひとつ欲しいな。くれないかな。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ▲
by azzurrotree
| 2013-11-21 23:24
| Articles/掲載記事
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Trans-Asia Photography Reviewという、アジア圏の写真の動向を学術的にレビューするサイトに、著者が執筆した濱谷浩 x 山本悍右展の記事が掲載されました。
タイトルはThe Pacific Rim Divide of "Japan's Modern Divide" ![]() ロサンゼルスのGetty美術館で開催された濱谷浩 x 山本悍右展の大成功を受けて、本展の総括、二人の写真家の軌跡、スタイルの違いなどを分析。 一方で記事のタイトルが示す通り、展覧会名 "Japan's Modern Divide" とパシフィックリムという言葉を掛け合わせて、海を隔てた米国と日本とでは濱谷浩 x 山本悍右展の評価に温度差があることを指摘。米国のみならず世界でも有数のコレクションを誇るGetty美術館で日本人写真家二人が大きく取り上げられ、2013年3月〜8月の5ヶ月間で36万人という驚異的な集客数を記録、展覧会の質・内容共に高く評価されたのとは対照的に、日本国内で会期中にこの展覧会を取り上げたメディアはほとんどなかった。Getty美術館で日本人写真家による初の大規模展覧会で、これだけ反響が大きかったのにも関わらず、異色の組み合わせだからという理由だけで、無視を決め込む日本独特の旧弊で惰性に流されっ放しのメディアの体制が透けて見える。内向きな日本のメディアを痛烈に批判した記事となっている。 特に毎日新聞の夕刊コラム「サラダボウル in the U.S.A.」で濱谷浩 x 山本悍右展に触れたおざなりな記事がもう目も当てられない酷さで、著者の英文記事の中で手厳しい突っ込みを入れておいた。いい加減使い古された感のあるクール・ジャパンをもじって「シュール・ジャパン」なんてタイトルを付ける時点でこの囲み記事のセンスを疑う。こんな記事が日本語による国内唯一の濱谷 x 山本展レビューだとは、日本人として恥ずかしい限り。 濱谷浩 x 山本悍右展の正当性を英語で世界に向けて発信できて、溜飲が下がった思いだ。 TAP Reviewに掲載された英文記事は論文並みの長文だが、Getty美術館キュレーターや、写真コレクター、地元の写真家などのコメントも拾っているので、大学教授や専門家が執筆する他のアカデミックな記事より多少は読み易いかと。ただあまりの長文にゲンナリされてしまいそう(笑)。 展覧会のレビューについては過去のエントリでも簡単に紹介しているので、そちらを参考にされたし。 濱谷浩 x 山本悍右展が日本でほとんど取り上げられなかった一番の原因は、日本メディアの怠慢に尽きる。過去のエントリ「報告会」でも少し述べているが、濱谷のリアリズム写真と山本のシュルレアリスムな作風が「水と油」で、二人展のアイデアを頭ごなしに否定されたのだろう。正直な話、著者も初めて耳にした時は「アメリカ人の突拍子もない思いつき」だと唖然としたものだ。 展覧会名の "Japan's Modern Divide" のDivideを「分断」や「分裂」といった否定的な意味合いにしか訳せなかったのも一因かもしれない。だがそれもGetty美術館が各メディアに配信したプレスリリースに目を通せば、日本写真史は1930年代に新興写真という国際的な運動が日本に紹介され、そこからリアリズム写真と、前衛写真に二極化し、濱谷浩と山本悍右は二つに分れた流れを代表する写真家であることが簡単に読み取れるはずなのだ。 おのずと "Japan's Modern Divide" は「日本近代写真の分岐点」とでも意訳できそうなものだが。日本のメディアはA4用紙1枚の英文プレスリリースも読む気力がない怠惰な集団なのだろうか。外側から見た日本、異文化の価値観を真摯に受け止めて日本国内に紹介できる柔軟な新聞・雑誌といった媒体が無いのが残念だった。 濱谷と山本の違いばかり強調してしまったが、実際に展覧会で二人の作品を見ると、目指す方向性こそ違えど、新興写真の国際的な運動によってもたらされたクローズ・アップ、フォトモンタージュなど当時の最新の技法を駆使して作品を生み出していたところに、同じ時代の空気を吸い、写真界を牽引していた二人の共通点を見いだすことができる。 日本人の固定観念を覆し、アート界やアートを取り上げる媒体に新鮮な風を吹き込む意味でも、濱谷浩 x 山本悍右展は日本でも巡回展をすべきではないだろうか。 ![]() ▲
by azzurrotree
| 2013-11-20 02:24
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