![]() Photo by John Solt 検索
カテゴリ
全体 LA Art / LAアート Photography/写真 Contemporary/現代美術 Japanese Art/日本美術 Paintings/西洋絵画 Architecture/建築 Sculpture/彫刻 Movie/映画 Books/装幀 Best 5 of the Year! Articles/掲載記事 Others/その他 Fashion / ファッション 未分類 タグ
LACMA(17)
シュルレアリスム(15) Getty(12) 高村総二郎(8) 大家利夫(7) Hammer Museum(6) Frank Gehry(6) 装幀(6) 澤田知子(6) PST(5) 山本悍右(5) Rose Gallery(4) ハロウィーン(4) ランド・アート(4) 久保田昭宏(4) 北園克衛(4) Robert Heinecken(3) バルテュス(3) 恩地孝四郎(3) 山本基(3) 以前の記事
2019年 01月 2018年 12月 2018年 06月 2018年 05月 2018年 03月 2018年 02月 2017年 12月 2017年 11月 2017年 10月 2017年 05月 2017年 04月 2017年 03月 2016年 12月 2016年 11月 2016年 10月 2016年 09月 2016年 08月 2016年 06月 2016年 05月 2016年 04月 2016年 03月 2016年 01月 2015年 10月 2015年 09月 2015年 06月 2014年 11月 2014年 10月 2014年 09月 2014年 08月 2014年 07月 2014年 06月 2014年 05月 2014年 04月 2014年 03月 2014年 02月 2013年 12月 2013年 11月 2013年 10月 2013年 09月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 01月 2011年 12月 最新の記事
フォロー中のブログ
最新のコメント
メモ帳
最新のトラックバック
外部リンク
ライフログ
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
1
前回取り上げた工藤哲巳と同時代に活躍した前衛アーティスト、愛称ギュウちゃんこと篠原有司男 (1932-)を取り上げた、2013年制作のドキュメンタリー映画『キューティー&ボクサー (Cutie and the Boxer)』を昨年末に観たので、紹介しておきたい。
![]() 既存の芸術、伝統的な美術の価値観を打ち破る反芸術の旗手として、1960年代に注目を集めた工藤と篠原。ふたりとも日本を飛び出し、工藤は渡仏しパリを拠点に活動、篠原は渡米し現在もニューヨークで精力的に制作している。共にハプニングと呼ばれるパフォーマンスアートが得意 (言語が介在しないので海外で活動するには好都合だった) と共通点が多い。 工藤哲巳は挑発的に文明批評を繰り出す社会派だとすると、篠原有司男は体力勝負なところがある。「芸術は爆発だ」の名言で知られる岡本太郎も生前、反骨精神むき出しの篠原の作風を「ひたむきなベラボウさ」と評している。 「日本で初めてモヒカン刈りにした男」としても有名。彼の代名詞的パフォーマンスアートとなった「ボクシング・ペインティング」を披露する1960年代の篠原。 ![]() そして80歳を超えてなおパワフルなボクシング・ペインティングを披露する篠原。 ![]() 篠原の映画と上に書いたが、本作は篠原有司男 (撮影当時81歳) と妻の乃り子 (59歳) 夫妻の40年間に渡るニューヨークでの生活を描いた波瀾万丈物語である。そして実を言うと、妻であり母である乃り子がアーティストとして自立を果たす、ひとりの女性の成長の軌跡を辿る物語でもある。 ふたりが暮らすのは、最近おしゃれなお店も増えて人気エリアのニューヨーク、ブルックリンのダンボ地区にある自宅兼アトリエ。3階建ての2階が居住スペースで3階がアトリエのようだ。広そうだなと思いきや、天井の雨漏りがひどくバケツが必須、古さを通り越したオンボロ建物である。冒頭から家賃滞納で揉めるリアル過ぎる夫婦の会話が展開される。 ![]() 1969年に奨学金で渡米した篠原は、その3年後に当時ニューヨークに美術を学びにきていた19歳の乃り子と出会う。裕福な家庭に生まれ育った乃り子だったが、ギュウちゃんと恋に落ち、結婚、学業の道を捨てたことで、裕福な実家からの仕送りは打ち切られた。ほどなく息子アレックスも生まれるが、大酒飲みで家にお金を入れないひと昔前の芸術家タイプを地で行くギュウちゃん。乳飲み子を抱えて異国の地ニューヨークで赤貧の生活を余儀なくされる乃り子。妻であり、母であり、篠原のアシスタントとして影で夫を支えてきた乃り子も59歳に。息子も成長した今、これまで抑えてきた創作の意欲が沸々とわき上がる。漫画のようなドローイングで自身の分身であるヒロイン「キューティー」を生み出し、40年間の怒濤の夫婦生活を綴り始めるのだ。 「そりゃもう、大変でしたよ」と語る乃り子だが、ギュウちゃんとのこれまでの極貧生活を乃り子が描くユーモラスなドローイングで回想するので、悲愴さが薄れる。これでリアルに苦労話を映像化されたら救いが無かっただろう。 ![]() 年老いた夫婦で食卓を囲む場面が多く出てくるが、決して口数が多いわけでもない。淡々とした食事風景がなんとなく日本の古い映画を彷彿とさせる。 監督のザッカリー・ハインザーリング (Zachary Heinzerling) は1984年生まれだが、家族の有り様を題材にした小津安二郎作品に影響を受けていると語っている。 食事中に乃り子が「リ・ウーファン個展やってたね」とつぶやく、何気ない一コマがある。リ・ウーファンは60年代後半から、もの派を牽引するアーティストのひとりとして日本で活躍していたので、渡米前の篠原と活動時期が重なる。かたやグッゲンハイム美術館で個展を開くまでになっているのに、一方で家賃や電気代を捻出するのにも四苦八苦する篠原。過去の名声と現在の知名度の無さの落差を思い知らされ、ギュウちゃん心の中でガックリ肩を落としていたのではなかろうか。なんか、せつない。 ![]() そのグッゲンハイム美術館の敏腕キュレーター、アレクサンドラ・モンロー (Alexandra Munroe) が絵の買い付け交渉に来る場面がある。その後、食事中に乃り子が「アレクサンドラ、絵買ってくれないかな」とボソっと口にした時は、著者は思わず心の中で「どれでもいいから、絵買ったれや〜」と叫んでしまった。 成長した息子アレックスも登場するが、これがまた呑んだくれで滅多に口をきかないので、おいおいダイジョウブかよ、と心配になるが、正直、映画の中で彼の絵に画家としての才能を一番感じた。 ただの湿っぽい貧乏話で終わらないのは、ギュウちゃんと乃り子夫婦の生来の明るさ、辛さをユーモアに転換できる強さ、アメリカ生活が長く「いってらっしゃい、気をつけてね」の後のキスなど愛情表現がストレートなところか。乃り子の「妻の逆襲」とも取れるユーモラスなドローイングを上手く取り込みつつ、夫婦の日々の生活を丁寧に掬い上げた若い監督の手腕も、これまでにないタイプのドキュメンタリー映画に仕上がっている所以だろう。 完全に乃り子に主役を持って行かれた形となり、ギュウちゃんとしては面白くないかも知れないが、荒波に揉まれつつ素敵に歳を重ねた夫婦の純愛ストーリーとして微笑ましい。 ザッカリー監督はエンディング場面で、乃り子に対して粋な計らいを用意していた。乃り子だけでなく映画を観たすべての女性、特に世の妻たちはあの場面で鬱憤を晴らし、爽快感を覚えて劇場を後にしたに違いない。 ![]() 本作はサンダンス映画祭ドキュメンタリー部門ですでに監督賞を受賞しているが、なんと第86回アカデミー賞にもドキュメンタリー部門でノミネートされている。授賞式は日本時間の3月3日なので大いに期待したい。(速報:惜しくもアカデミー賞受賞ならず。残念!) ![]() ▲
by azzurrotree
| 2014-02-23 03:15
| Movie/映画
|
Comments(2)
京都の冬がますます堪えるようになった今日この頃。年末から1月にかけて忙しく、2月に入っても風邪が治る気配がない。どうかこのまま春まで冬眠させてください。
2013年はアメリカで、具体やもの派など、日本の50年代後半から60年代に興った美術動向がブームになったが、その延長線上で足を運んでみたのが大阪の国立国際美術館で開催していた工藤哲巳の回顧展(巡回展で、今は竹橋にある東京国立近代美術館で開催中)。 ![]() 展覧会は「あなたの肖像」というタイトルだが、心安い気持ちで観に行くと痛い目に遭う。約200点の展示の大半を占める立体作品の数々は、決して親しみ易い作品ではない。眼球、脳、鼻、性器といった肉体のクローズアップ、死や腐敗といった人間のグロテスクな部分が「あなたの肖像」として生々しく提示されるのだ。何より作家自身が人間の醜悪さや不能に向き合い、おぞましい作品を発表し続ける、その自己を投影した強烈な芸術的表現に圧倒される。 工藤哲巳(1935-1990)は大阪生まれ。東京藝術大学在学中から、若手前衛芸術家らの作品発表の場である読売アンデパンダン展に出品。赤瀬川源平、篠原有司男らと共に反芸術の旗手として脚光を浴びる。1962年に第2回国際青年美術家展で大賞受賞したのを機に渡仏。以後、約20年に渡りパリを拠点にヨーロッパで活動を続ける。1987年に母校の東京藝術大学教授に就任するも、1990年に55歳で死去。 主要作品を紹介。1962年に第2回国際青年美術家展で大賞を受賞し、フランス留学の機会を得るが、新しい絵画表現を求めて19世紀末から20世紀前半にパリに学びに行った、かつての日本の洋画家たちと違い、工藤はパリに学ぶ事は何も無く、単に奨学金がもらえるという理由で渡仏。よって異国の地に迎合する気も毛頭無かった。 『インポ分布図とその飽和部分に於ける保護ドームの発生』(1961-62)を引っさげ、パリに殴り込みをかける。 ![]() ![]() さなぎ?それとも房なりのバナナ?) ひと部屋使った大型インスタレーションの壁や天井からつり下げられている黒々しい男性器の数々が、ある意味壮観である。グロテスクに見えるがエロティシズムは微塵も無い。滝口修造も「単位形態が一種の記号のように配置されているが、記号とはいっても、一見して陽物(男性器)を連想するかもしれない。しかしこれがエロティックな象徴的な意図をもっているとは考えられない」と工藤の作品を評している。さらに「作者は観念的な抽象図形によらないで、意味ありげなオブジェを記号性に昇華しようとしている」と続けた。 ペニスの過剰な集積と配置が、なぜかキャンベルのスープ缶を記号として反復していくアンディ・ウォーホル作品を連想させる。 ![]() 床にも巨大なペニスが横たわり、精液を表す白い紐の上に広げられた図版類はジャクソン・ポロックやジャスパー・ジョーンズの絵画だったり、マイケル・ハイザーのランドアート、ツイストを踊る人々の写真や、大学紛争時の安田講堂の写真で、他にもインスタントスープの袋などと共に放出されている。工藤は対談等で以下のような発言を度々している。「人間性と愛とセックスは、即席スープやタバコといった日用品と同じ次元にあることを、君たちヨーロッパ人に伝えたい」。工藤はアートも社会的事象も日常生活もすべて等価であると述べている。後に工藤はこのアイデアをさらに発展させて、人間性や人間の崇高さは幻想で、本当は商品並みの価値しかないのではないかと疑問を提示する。人間がもたらした環境破壊や原子力、遺伝子操作といった行き過ぎたテクノロジーに警鐘を鳴らし、グロテスクで挑発的な作品を通じて人類史や人間の進化を見直すべきであると訴え続けた。『インポ分布図と…』はパリで認知される出発点であると共に、後のすべての作品の根底に共通するテーマでもある。 工藤は『インポ分布図と…』について、人間は生まれながらにして、社会的・文化的・政治的・歴史的・遺伝的に不自由で「種の保存の奴隷」であると定義し、それを踏まえて『インポ哲学』と名付けてハプニングを敢行、衝撃のパリデビューを果たす。 ![]() 英語もフランス語も出来なかった工藤だが、1960年代に世界的な広がりを見せていたハプニングを展覧会に取り込むことで、過激なパフォーマンスを通じて自身の前衛作品が広く知られるようになる。 それにしても後年の作品まで執拗に繰り返される男性器のモチーフ。よっぽど自身のモノが小さくてコンプレックスを抱いていたのだろうか。最終的には千葉県房総の鋸山に巨大な岩壁レリーフ『脱皮の記念碑』(1969) まで制作してしまう。 ![]() --ボックスアート-- パリで活動していた60年代、工藤は箱を用いたボックスアートをいくつか制作している。 ![]() モチーフはお得意の男性器に加え、眼球や耳、口などの身体の一部分、ボウルや蒸し器といったキッチン用具、瓶詰の人形、注射器、薬の錠剤などが収められている。 ![]() 同じボックスアートでもジョセフ・コーネルの繊細な作品とは違い、ポエジーのかけらもない。遠目から見ると原色を使ったポップアートだが、どの箱もグロテスクで、鑑賞者も次第に辟易しそうだ。反芸術、ただ美しいものを糾弾し続け、醜い異形の作品を作り続けるのも精神的にシンドくならないのか心配になってしまう。 工藤は箱について後年次のように書いている。 「我々は箱がなければ生きられない。我々は箱(子宮)の中で生まれ、箱(アパルトマン)の中で育ち、死んでから箱(カンオケ)の中に入る。生誕から死までの間に我々は我々自身で小さな箱を作る。—つまり箱の中で箱を作る—。この小さな箱とは我々の祈り(願い)と、のろいを閉じ込める箱である」。 ただでさえグロテスクなモチーフが箱という閉鎖的な空間にぎゅうぎゅう詰めになっているから、鑑賞中にシンドく感じるのだろうが、しかし我々の生活も案外、職場・住居の窮屈な箱、社会規範の見えないバリアにぎゅうぎゅうに押し込められているのかもしれない。 ![]() --放射能と人間-- 1964年以降、原爆や放射能を連想させる作品を盛んに発表し始める。 人間の肉体が消滅し、肥大した頭部や大脳、眼球だけが残る。原子力というパンドラの箱を開けたがために、人間の進化はグロテスクな変容を辿るのだ。 ![]() 工藤は「日本のアーチストによる原爆への単なる抗議のための作品ではなく、ヨーロッパにおいて行き詰まった人間性を示したもの」であると話し「テクノロジーと対決しながら風化して影になってしまった人間ども、にもかかわらずキリスト教的な愛にしがみついている愚かなヨーロッパ人、それがあなた方である」と手厳しい持論を展開している。物事を対立的に捉えるキリスト教的なヨーロッパの二元論に異を唱え続ける、もう少し具体的に言うと、自然を征服して、テクノロジーを飼い馴らそうとする人間のエゴイズムを、毒々しく挑発的な作品を通して鋭く指摘した。 何もヨーロッパに限った話ではない。科学技術の発展で経済的繁栄を享受している上に成り立つわれわれ人類の愛が地球を救うとか、自然環境を回復させることは、確かに偽善的であろう。 ![]() --放射能による植物培養-- ![]() グロテスクさは相変わらずだが、だんだん作品の色彩に変化が見られてきた。ネオンのような蛍光色が、ま、これもドギツイ色といえるが、怪しく発光するピンクや黄色に彩られた作品がだんだん美しく思えてきた。そろそろ著者の感覚も麻痺してきた。 ![]() 人間と自然、あるいは人間とテクノロジーは対立軸にあるのではない。汚染された自然と制御不能なテクノロジー、それらを自らのエゴで創り出した人間は、取り返しのつかない状況と共生していくしかないのか。工藤の挑発的で不気味な作品を通して、人類の未来という不透明な先行きについて、我々は大きな課題を突きつけられる。 --鳥籠シリーズ-- 70年代半ばから始まる鳥籠を使った連作は、それまでの攻撃的な作風は影を潜め、一転して内省的で、集大成的な作品になっている。 ![]() 色とりどりの糸がもつれて絡みつく鳥籠作品がひと部屋に集められ展示されると、なかなかの景色である。もちろん鳥籠の中に目を凝らすと、たまにさなぎのような男性器や、もげた鼻が落ちていたりもするが、そこには挑発的な意図は見当たらない。糸を紡ぐという行為は何か祈りにも似ている。子供の誕生や母親の死、73年のオイルショックから始まる世界不況、自身の身体を蝕むアルコール依存症と様々な出来事に直面した中で制作された鳥籠の連作。糸を紡ぐという行為は何か祈りにも似ている。工藤も作家として多作な方だと思うが、作品を作るという行為もまた、瞑想の境地に至る道だったのかも知れない。鳥籠が一堂に会する部屋だけでも見るに値するだろう。 ![]() インテリの典型、権威と成り果てたフランスの劇作家イヨネスコを強烈な作品群でこき下ろした個人攻撃は感心できないが、それ以外の作品は、人間性、テクノロジー、原子力、自然環境など常にジャーナリスト的な視点で問題提起をしていたのが工藤というアーティストの最大の特色だろう。すべてのテーマが半世紀を経ても今日的な問題である。日本にも、過激かつ知的な作品で社会に斬り込める作家がそろそろ出てきても良い頃だ。 ▲
by azzurrotree
| 2014-02-18 03:44
| Contemporary/現代美術
|
Comments(2)
1 |
ファン申請 |
||