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3月8日、9日の2日間に渡り、青山学院大学青山キャンパスにて開催された国際シンポジウム「文学による日米の架け橋 “Rethinking the Legacy of Kenneth Rexroth: Literature, Translation, War” ―― ケネス・レクスロス、翻訳、戦争」のレポートを忘備録も兼ねて紹介したい。
このシンポジウムを消化するのに1ヶ月もかかってしまった……。 本シンポジウムはジョン・ソルト(John Solt)、田口哲也、筆者の共訳編で2017年に出版された『レクスロス詩集』(思潮社)が基になっている。 田口先生の解説にある「第二次世界大戦中に財産を没収され、強制収容所へと連行される日系アメリカ人をレクスロスは陰に陽に手助けした」という行を読んだ青山学院大学文学部日本文学科の小松靖彦先生が甚く感動して、本シンポジウムが企画された経緯がある。 自身が上梓した本がどこかで目に留まり、巡り巡ってこのようなイベントに繋がるとは、有り難い限りである。 第1日目の国際学術シンポジウムは「レクスロスと翻訳」「レクスロスと戦争」の2部構成。 ケネス・レクスロスが21世紀に読まれる意義について、2日間のシンポジウムを俯瞰的に総括した際に、立ち現れるヒントがいくつかあるが、登壇者の中で唯一ジェフリー・アングルス先生 (Jeffrey Angles) が「21世紀の立場から見るレクスロス」というタイトルで直接的に言及していた。 アングルス先生は1920年代に発生し、米国史上最大の冤罪事件といわれる「サッコ・ヴァンゼッティ事件」について取り上げ、当時の人種差別的で右翼思想の傾向が、今のトランプ政権下のアメリカの状況と一致すると話した上で、この「サッコ・ヴァンゼッティ事件」はレクスロスにも多大な影響を与え、レクスロス作品に反映された「既存社会に蔓延る不正や権威と闘い、抵抗する姿勢」は今の時代にこそ読み直されるべきなのでは、と語ってくれた。 個人的にはトレーン・デヴォア先生 (Trane DeVore) のKPFAとレクスロスの関係についての講演が、新しい学びを得ることができて一番興味深く聴くことができた。 KPFAはカリフォルニア州バークレーで1949年に開局した公共ラジオ局で、詩人でジャーナリストのルイス・ヒル (Lewis Hill) を中心に、第二次世界大戦中に良心的兵役拒否者や平和主義者だった少人数のグループによって立ち上げられた。当時サンフランシスコで労働階級の急進派やアナキスト、詩人、芸術家の集まりを主宰していたレクスロスにヒルは協力を求め、KPFA開局の道筋をつけるパシフィカ財団の設立に漕ぎつける。 KPFA開局後は、レクスロスが様々なジャンルの本を紹介する書評番組ができた(筆者も数年前にNorth Hollywoodにある系列局KPFKに行った際に、レクスロスのラジオ番組音源をいくつか気前よく分けてもらえた)。 デヴォア先生の話から、平和主義、反戦思想、アナキズムといった土壌がサンフランシスコを中心とする西海岸にあって、レクスロスが長らくそれら草の根の活動を支えていたことを知り、感慨深い。 アングルス先生はレクスロスには悲観的なところがあると述べていた。確かに『レクスロス詩集』で筆者が翻訳した新聞コラムも悲観的な将来の見通しを語る記事が多かった(次世代に向けた警告の意味も込められているのかも)。しかしながら民主主義というものは声を上げ続けなければならない。その点アメリカはトランプ政権下で人種・宗教間の溝が深まってしまったかに見えるが、それでも差別や偏見は許さないとトランプ大統領の無謀に対して良識ある人々が声を上げ続けていて、健全で希望が持てる。日本はどうだろうか? シンポジウム両日ともレクスロスが翻訳した万葉集や中国詩についての講演がいくつかあったが、少し驚いたのは何か雛形でもあるのか、どの発表もパターンが定型化していたことだ。万葉集のオリジナルの和歌とレクスロスの翻訳を比較して、正誤の答え合わせに終始していた。レクスロスの翻訳に肯定的で素直に感動を表明していたのは小松先生だけだったように思う。 レクスロスは日本学術振興会による英訳を念頭に置いた上で、大胆な意訳を試みたのではないか。ともすると二次創作じゃないかというくらい全く違う和歌の翻訳に笑ってしまうこともあるのだが。それは実際の和歌より良い詩にしてやろうという驕りや思い上がりからでは決してない。レクスロスにとって翻訳することは時代や文化の違いを超えて古の詩人たちを真に理解し、偉大な詩人たちへの敬意と共感力を高めるエクササイズみたいなもので、自身の詩作をより研ぎ澄ますための訓練でもあったのだ。 イタリアには「翻訳は裏切り」という表現があるが、同じ詩でも訳者の数だけ違う訳になるのは当然で、多種多様な解釈にもっと寛容になっても良いのではないだろうか。翻訳するということは異なる他者への共感を養うことでもあり、分断が深刻化する現代の社会に生きる人々にこそ関係性の構築を図る上で必要な知恵ではないかと思う。 第2部の「レクスロスと戦争」で第二次世界大戦中の日系アメリカ人強制収容について発表した西本あづさ先生もテーマ的には注目度が高い内容ではあったが、気になったのはレクスロスが日系アメリカ人を助けた公式な記録が残っていない、インターネットで検索しても出てこないゆえ、研究の対象とするには難しい旨をしきりに強調していたことだ。 まず敵国である日本にルーツのある人々を助けることはレクスロスにとって間違いなく大きなリスクになる。レクスロスは公式の記録に残るような危険を冒すほど愚かだったとは思えない。リスクを回避しつつ、見返りを求めない慈悲心からアンダーグラウンドでの活動に終始したと推測するのが妥当だろう。実際レクスロスは戦略的かつ確実に日系アメリカ人を西海岸から脱出させることに奔走した。シカゴにあるアート系教育機関が奨学金の募集する広告を見てすぐさま連絡を取って、必要な書類を揃えて日系アメリカ人たちを学生として送り込んだり、持てるコネクションを駆使して絶対的平和主義のクエーカー教徒の居住地に学生プログラムを設置して日系アメリカ人たちを移住させたりした。 レクスロスの慈善行為は親しい友人たちやレクスロスを恩人と仰ぐ人々によって口承で伝えられてきた感がある。レクスロスの形に残らず記録にも残らない善行は、今のインターネット時代に馴染まないのかもしれない。 シンポジウムの前からうっすら危惧していたが、実際に発表を聞いてみるとアカデミズムとレクスロスに親和性がない理由がおぼろげに浮かび上がる。レクスロスはかつて大学という機関を「霧の工場」と揶揄したが、レクスロスを従来の大学研究のテンプレートに当てはめようとすると見事に失敗するだろう。もっと想像力を働かせて発想を転換させたクリエイティヴな発表が求められる。文化人類学や社会学、哲学の観点からレクスロスを研究するのが望ましいのかもしれない。 そんな中、レクスロスと実際に親しかったジョン・ソルト先生やギブソン松井佳子先生 (Keiko Matsui Gibson) が登壇者として発表したことの功績は大きい。単なる研究対象としてではなく、血が通った人間味あふれるレクスロスの人となりを、心のこもったエピソードとともに紹介してくれた。生涯を通じて平和主義を貫き、ジェンダーや人種、国籍を超えて弱き者を助け、エンサイクロペディア級の知識を惜しみなく分け与えてきたレクスロスが世界中の多くの人々から慕われてきた理由が分かる気がする。足がすくむような状況でも正しいと思えば行動を起こすレクスロスの勇気に、私も含めシンポジウム会場の誰もが心を打たれただろう。レクスロスにとって勇気は奮うものではなく、気がついたら勝手に身体が動いている、というくらい自然な行為なのだ。詩人としてよりも、より善い人間として生きることの大切さを説いてまわった人だった。 筆者はコメンテーターとしてコメントを述べたが、「翻訳」というテーマなのに誰も片桐ユズル先生の訳について触れていなかったので「翻訳の可能性」について摩利支子(Marichiko)の訳を例に挙げて少し話した。 『摩利支子の愛の歌』は京都の女流詩人によって書かれた情熱的な恋愛詩をレクスロスが英訳した、という触れ込みで発表当初は大きな評判を呼んだが、実はレクスロス自作の詩で、出版社も読者もまんまと担がれてしまったという面白いエピソードがある。 与謝野晶子風の詩だが、設定は平安時代のようにも思える。夜毎通いつめていた恋人がやがて来なくなり、情熱的な恋愛が終わりを迎え、もう来てはくれない恋人を無為に待ち続ける日々で摩利支子は頬もこけ、長い髪に白髪が増え、げっそり痩せこけた姿になってしまうというストーリー。最初に読んだ時は正直「ずいぶんホラーチックな話だな」と思ったものだ。美しい短詩が連なった女性の奔放な情熱の吐露なのだが、どうにも共感に乏しい筆者は「男なんてそれこそ星の数ほどいるんだから、街に行けば他にイイ男なんていくらでも捕まえられるのに」と思っていた。 しかし何回か読むうちにあることに気がついた。摩利支子は女性なので、その恋人はてっきり男性だと思い込んでいたが、片桐先生の日本語訳では摩利支子の恋人は常に「あなた」としか表現されていない。英語の原文にあたってみると一箇所だけ "He" (彼)とあったが、片桐先生はそれも「あの人」と訳しているので、日本語訳だと結局この恋人は最後まで性別不詳のままなのだ。そこでこの恋人を「彼」ではなく同性の恋人だと考えてみると、時代錯誤だと思っていたストーリーすべてが急に腑に落ちた。 道ならぬ女性同士の恋ゆえ、忍ぶ恋が終わりを迎えた時、替えの効かない存在が永遠に失われてしまって愕然とする……。TinderやGrindrといった出会い系アプリも無い時代に同性の恋人を見つけるのは至難の技だろう。せっかく見つけた希少な恋人を失ったら、そりゃもう絶望しかない。旧来の男女の関係性を、現代の多様なカップル事情に置き換えた時に、初めてこのストーリーに深く共感できたのだ。 レクスロスはエッセイ "The Poet as Translator" の中で「同時代の詩人に共感するのは簡単で誰でもできる」と書いた上で、古の時代の詩人たちに共感することのメリットを滔々と説いているが、共感力に欠ける筆者には耳が痛い話である。しかし時代が変わると価値観や倫理観も当然変わるので、例えば源氏物語なんかは筆者にとっては「あちら側の文脈」で、自分に引きつけて読むことがどうしても難しいことがある。 片桐先生が摩利支子の恋人のジェンダーを出さなかったのは意図的なのかどうか分からないのだが、様々な解釈を可能にする翻訳になんだか救われた気分になった。「同性同士の恋愛」という解釈はレクスロスとしてはもちろん意図していないだろうが、どのような形にしろストーリーに共感できる喜びを味わえるのは嬉しい。そういう意味で片桐先生の訳は翻訳の新しい可能性を示してくれた。 シンポジウム2日目は伊藤比呂美先生によるレクチャーに続き、伊藤先生とアングルス先生による詩の朗読や、大学院生によるレクスロス詩作の朗読の他にも、日米の詩人が書いた戦争に関する詩を朗読してくれた。全然名前も知らない詩人が戦時中にこんなにも魂を揺さぶる詩を書いていたことに驚き、詩を声に出して読むことの力強さを改めて感じた1日だった。 大学院生さんたちによるシンポジウム発表の後は活発な意見交換になり、途中から白熱して先生方の間で英語onlyのやり取りになってしまい、小松先生からお叱りを受けていたのがちょっと可笑しかった(公式言語は一応日本語らしい)。 そして松井先生の息子さんでチェロ奏者のギブソン聡クリストファーさん(Christopher S. Gibson)の演奏で詩の朗読を聴くのはこの上なく贅沢で素晴らしい体験になった。特にチェロを演奏しながら詩を朗読する離れ業を披露してくれて、ずっと聴き入っていたいくらいの技量の高さに感動しきりだった。 最後になったが、この国際学術シンポジウムを成功に導いた青山学院大学の小松靖彦先生の信念と熱意に心からの感謝と敬意を表したい。 #
by azzurrotree
| 2019-04-08 20:52
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