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前回はLACAで開催したロバート・メイプルソープ展を紹介したが、今回はGetty美術館で同時開催された”Robert Mapplethorpe: The Perfect Medium” (2016年3月15日〜7月31日)を紹介したい。
![]() このMapplethorpeの芝居がかった不自然なポーズ、実は名画と呼ばれる古典芸術から来ている。 ![]() カラヴァッジョの絵に潜む得体の知れない狂気を、Mapplethorpeの手に握られたナイフで表現している。 過激な性描写のイメージばかりが先行するRobert Mapplethorpe(1946-1989)だが、静物画のように花を撮り、ギリシャ彫刻のように肉体をとらえた写真は、意外にもヨーロッパ絵画や彫刻の古典的な様式美を巧みに取り入れている。 ![]() このモデルのポーズや構図、大理石やブロンズのような肌理で、何となくどこから着想を得たか予想がつくだろうか。 ![]() 古典に回帰したネオ・クラシック彫刻で知られるイタリアの彫刻家アントニオ・カノーヴァの代表作を、見事に現代風にアレンジしている。 Mapplethorpeならではの性別や人種を超えた美の表現は秀逸。 ![]() この作品も褐色の肌がブロンズ像を想起させるが……。 ![]() 余計な表現を排除した簡素な描き方はネオ・クラシック調だが、シュルレアリスムの作品のようにも見える不思議な絵画。ルーブル美術館に所蔵のジャン・イポリット・フランドランの名画にインスパイアされた画家や写真家は多い。 写真というメディアを介し、芸術的な造形美を追求したMapplethorpe。彼の作品の根底に流れる古典の要素や芸術性に焦点を当てたGettyの展示は、Mapplethorpeの今後の歴史的評価にもつながるだろう。 ![]() Gettyの展示全体のテーマは、Mapplethorpeが1970年代後半に制作したX, Y, Z Portfolioの3つの主題にゆるやかに沿っている印象がある。 X Portofolio (1978) はゲイセックスやSM、Y Portofolio (1978) は花、Z Portfolio (1981) はアフリカ系アメリカ人のヌードがテーマである。 LACMAもGettyも入場するにあたり、特に年齢制限を設けていないが、男性の性器を露骨に写した作品が数多く展示されていた。日本ではまず展示すら許されないだろう。 The exhibition contains sexually explicit content that may not be suitable for all viewers(展示には性的に露骨な内容が含まれるため、すべての鑑賞者に相応しくないかもしれません)という注意書きが。このぼんやりした書き方が、芸術か猥褻かのあいまいな線引きを表現しているようで面白い。 ただGettyの会場内にある小部屋の入り口にはしっかり警備員が立っていて、18歳以下は入れないようにしていた。この小部屋の真ん中は壁で仕切られていて、入り口正面からは美しい花の写真が展示されている様子しか見えない。 ![]() しかし仕切りの裏に回ると、悪名高きX Portfolioからフィストファックを含む過激な作品が数点並んでいた。これらの写真に無理やり意義を見出すとしたら、目を背けたくなるようなアンダーグラウンド・セックス・カルチャーも世の中には存在するという認識を持てることと、どのような性、人種、身分に属していても、これを見た人はほぼ100%何かしら不快感を抱くだろうな、という感情の共有だろうか。 観光客の老夫婦がこの小部屋からショックを受けて出てきた時に、立っていた警備員がすかさずHow did you like the flowers?(花の写真はどうでしたか)と声を掛けたというエピソードがブラック過ぎて笑える。 ![]() これを展示するGettyも勇気があると思ったが、X Portfolioを美術館で展示する意味を考えてみた時に、展覧会に連れて行ってくれたJohn Solt氏がひとつヒントになる話をしてくれた。ベトナム戦争中に、米ポルノ雑誌『ハスラー』(Hustler) は見開き1ページに大写しの女性器を載せ、次のページにベトナム戦争で血まみれになって倒れている兵士の写真を載せて「どちらが猥褻か?」と強烈なメッセージをアメリカ社会に叩きつけた。戦争と猥褻はどちらがより暴力的か。同じ暴力なら戦争で死ぬより、セックスを楽しむ方がよっぽど無害だという主張は極論だが心底正しい。平和が長く続く日本ではこの論理は出てこない。 もうひとつ興味深いことはGettyの展覧会は40万人の入場者数を記録したが、展示についてクレームは一切出なかったそうだ。80年代〜90年代、 Mapplethorpeの作品は物議を醸し裁判沙汰にまで発展したが、時代は移り変わり、鑑賞者がより成熟し、様々な芸術表現に対して寛容になったといえるだろう。 過激で挑発的な作品を展示する美術館の真の狙いは、展示を観た人々の対話を引き出すことに尽きるだろう。芸術と猥褻の線引き、美術館で展示する意味、表現の自由について、美術館は自由な議論を提供する場であってもいい。 ![]() ▲
by azzurrotree
| 2016-08-30 17:26
| Photography/写真
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今年ロサンゼルスはRobert Mapplethorpe(ロバート・メイプルソープ)祭りである。LACMA(ロサンゼルス郡立美術館)とGetty Museum(ゲティ美術館)が共同でMapplethorpeの作品や関連資料を大量に購入した2011年当時から話題になっていたが、2016年にようやくLACMAとGettyのふたつの美術館でMapplethorpe大規模展覧会の同時開催が実現した。
![]() Robert Mapplethorpe (1946-1989) はニューヨーク生まれの写真家。生前も死後もMapplethorpeの作品はその露骨な性描写から、公の場での展示に不適切だと物議を醸してきた。 ![]() 1989年にMapplethorpe巡回展 ”The Perfect Moment” の巡回先だったワシントンD.C.のCorcoran Gallery of Art (コーコラン・ギャラリー) がNEA (全米芸術基金:米政府連邦予算を受けて運営) の援助を受けていたことで、超保守派で反同性愛者を公言するJesse Helms上院議員が「市民の税金で猥褻なアートをサポートするのか」と批判を展開、Corcoran Galleryでの展示は中止に追い込まれる。しかし皮肉なことに宣伝効果は抜群で、次の巡回先で集客数大幅UPの大盛況となる。 翌90年のThe Contemporary Arts Center(オハイオ州シンシナティ)の巡回では、美術館館長のDennis Barrieが逮捕、起訴される。しかしここでも裁判沙汰が注目を集め入場者数を伸ばした。この裁判の様子を後にテレビ映画化した”Dirty Pictures” (2000)はゴールデン・グローブ賞でTV映画賞を受賞している。 ![]() 80年代はレーガン政権下でアメリカの保守化が進み、上記の経緯も相まって、Mapplethorpeの作品検証・研究はなかなか進まなかった。 芸術か猥褻かはいつの時代も問題になるが、その線引きは時代と共に常に変化する。社会におけるセクシュアリティはもちろん、芸術におけるセクシュアリティも捉え直す時期に来ている。そういう意味でロサンゼルスのふたつの主要美術館がMapplethorpeの作品を大量購入した英断を評価したい。今後さらなる調査・研究が期待される。 まずはLACMAで開催したRobert Mapplethorpe: The Perfect Medium (2016年3月20日〜7月31日)を紹介したい。 彼の写真のテーマは、花などの静物写真、セレブなどのポートレイト、ヌード、セックス、ボンデージやSMプレイといったアンダーグラウンド・シーンだ。 ![]() 写真を撮る態度について、ひとつ徹底していたのは、彼が選ぶ被写体は彼の審美眼に叶ったものだけ。男性器の写真を撮る時も、花の写真を撮る時と同様の態度で、そこに洗練された完璧な美を求めた。 ![]() ![]() 写真を撮れば撮るほど、自分の中にある美の基準、性的嗜好、セクシャリティに揺るぎない自信を確立していったのだろう。 世界女性ボディビル大会初代チャンピオンのLisa Lyonとのコラボレーションは6年間に及び、写真200枚、本、ビデオを手がけた。 ![]() 女性でありながら鍛え上げられた体躯を前にして、従来のジェンダーのイメージが揺らぐところにMapplethorpeは魅力を感じたのだろうか。 ![]() セレブリティの写真も多く撮っているが、どちらかというとそれは彼が嗜好する美しい被写体ではなく、自分がセレブにのし上がって有名になるための手段でしかなかったように思う。 ![]() 同じセレブでも歌手で詩人のパティ・スミス(Patti Smith)を撮った写真は格別だ。とても私的で親密、気高さすら漂わせる写真で、筆者もとても好きな写真だ。 ![]() 恋人としてニューヨークで共に暮らしていたのは5年ほどだが、その様子はPatti Smith の回顧録"Just Kids" (2010)に詳しい。 ![]() アーティスト活動だけでは食べていけないMapplethorpeが生活のために男娼として街に立つうち、自身のホモセクシャリティーを自覚し、ゲイの恋人の元に走ってしまう。しかし別れた後もふたりはMapplethorpeがエイズにより42歳で死去するまで生涯に渡り友情を育んだ。 Patti Smithの美しい写真で締めたいと思ったが、やはりMapplethorpeのナルシストぶりと自己顕示欲を体現する写真で最後を飾りたい。 ![]() ![]() 次回に続く。 ▲
by azzurrotree
| 2016-08-24 23:25
| Photography/写真
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ロサンゼルスのGetty美術館で始まっている2つの写真展
"Ishiuchi Miyako: Postwar Shadows"と"The Younger Generation: Contemporary Japanese Photography"のオープニングに行ってきた。 ![]() メインは石内都(1947- )の個展で、幼少を過ごした「基地の街」を撮った初期作品「横須賀ストーリー」から、広島の被爆者が着ていた衣服や遺品を撮った最新作「ひろしま」まで石内のキャリアの軌跡を辿る展示となっている。 オープニングの石内都氏がなかなかcoolだった。 ![]() 渋い色の着物に、サングラスと指先が無いタイプの手袋の組み合わせが異様にRockの雰囲気を醸している。ハイセンスな石内氏の出で立ちに、会場の人々も多いに盛り上がった。 もうひとつの展示は日本の現代写真家、川内倫子、オノデラユキ、おおつかちの、澤田知子、志賀理江子5名によるグループ展。 会場で一際目をひいたのはピンクの振袖がチャーミングな澤田知子氏。 ![]() 展示スペースの写真撮影は禁止なはずだが、澤田氏の展示「OMIAI」の前だけ人だかりが出来て、なぜかカメラ取り放題。 ![]() 展覧会の詳細やwalk-through(アーティスト自身による作品解説)の様子はまた後ほど紹介したい。 ![]() ▲
by azzurrotree
| 2015-10-12 16:12
| Photography/写真
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『濱谷浩&山本悍右展』開催時に、著者がGetty美術館のキュレーターにインタビューした記事が Kyoto Journal という京都発のオンラインマガジンに掲載されましたー!
![]() 展覧会期間は2013年3月26日〜8月25日で、出稿したのは7月下旬、なのに掲載されたのは年も変わった2月下旬って……。季刊誌とはいえ、ずいぶん気が長い。しかしこんなロングインタビューを全文掲載してくれる媒体も他にないので、大いに感謝。 定期購読型の有料ウェブマガジンのはずだが、なぜか普通にアクセスできることが判明したので、本ブログでも取り上げておきます。ラッキー♪ 記事タイトルは Behind the Folding Screen of "Japan's Modern Divide" タイトルの大意は「展覧会 "Japan's Modern Divide" の裏側」に迫る!という感じで、エキゾチック・ジャパン風に「屏風の裏側 」(Behind the Folding Screen)としてみた。 展覧会の概要を軽く説明した後に、Getty美術館・写真部門のシニア・キュレーターJudith Kellerと、アシスタント・キュレーターAmanda Maddoxの両氏に1時間半ほどいろいろ質問した内容をほぼノーカットで掲載している (2013年6月11日)。 展覧会については以下に挙げる過去記事ですでに解説済↓↓↓ 山本悍右x濱谷浩展@Getty美術館 山本悍右x濱谷浩展Opening@Getty美術館 『濱谷浩&山本悍右展』報告会 なので本記事では、他の視点でチョット面白い箇所をpick upして以下に要約したい。 <MFAHのキュレーターが来てくれた!> Keller氏はヒューストン美術館 (The Museum of Fine Arts, Houston: MFAH) の写真部門キュレーターのAnne Tuckerが『濱谷浩&山本悍右展』を観に来てくれたのが嬉しかったと話している。Tucker氏は、2005年に日本写真史の全体像を包括的に紹介した展覧会 "The History of Japanese Photography" (MFAH)を手がけている。「(当時米国でマイナーだった) 日本写真史という分野を先陣切って紹介したヒューストン美術館に続く美術館が出てきて喜ばしい」とTucker氏に声を掛けてもらったのがよほど光栄だったのだろう。大御所キュレーターAnne Tucker女史の美術界に与える影響力が垣間見られるエピソードである。 <作品管財人に感謝!> Keller氏は本展覧会を開催できた重要なポイントとして作品の管理者の存在を挙げている。欧米よりも写真の美術的価値が長らく低かった日本において、戦前から戦後にかけて制作されたネガや作品、その他多くの貴重な資料を維持・管理し続けるというのは相当に大変なことだとキュレーターも良く理解している。長年に渡り良好な保存状態で写真を管理してきた作品管財人の二人(濱谷側は多田亞生氏、山本側はご子息の山本俶生氏)に特に感謝の意を表明している。各写真家の作品や時代背景について造詣の深い両氏から惜しみない助言と協力が得られたからこそ、展覧会開催に漕ぎ着けられたと語っている。 <日本語ワカラナイ〜> 展覧会の準備にあたり最も困難だった点を訊いたところ、意外にもKeller、Maddox両氏とも言語に苦労したと明かしている。資料を読み込もうにも英語の研究書や文献はほとんど無い状態。特に山本悍右に関する資料のほとんどが日本語なのに加え、日本の前衛写真について書かれた文献も少ない。これまで山本について詳しく書かれているのは山本悍右研究家のJohn Solt氏による英語・日本語のエッセイくらいだろう。日本語と言う言語の壁を表現するのに「私たちはJohn Soltじゃないのよ!」と真面目な顔で言われたので、思わず笑ってしまった。山本の詩はSolt氏が英訳し、俶生氏が提出した山本の日記は翻訳者を雇い英訳、濱谷についての詳細は多田氏に何度も問い合わせたそうだ。 <タイトル決めるのもひと苦労> 展覧会タイトル "Japan's Modern Divide: The Photographs of Hiroshi Hamaya and Kansuke Yamamoto" を決める際の苦労話も聞かせてくれた。濱谷、山本共に、米国ではあまり知名度が高くないので、タイトルをひと目見ただけで、日本の写真であること、また20世紀半ばに近代化で揺れる日本で、革新か伝統回帰か、その二極化を代表する二人の写真家の展覧会であることがすぐ分かるようにあれこれ悩んだそうだ。またマーケティングや広告の面からも、メインタイトル (Japan's Modern Divide)には短さを要求されたと明かす。このマーケティング戦略は、街中に立てられる広告バナーや、展覧会図録の表紙にまで及ぶ。Gettyほど規模が大きな美術館になると、歴史的に意義があるという理由だけで採算度外視な展覧会は開かない。必ず商業的な成功を狙ってくる。タイトルひとつ、表紙の写真ひとつ決めるにもマーケティング部門が介入してくるとは。アートがビジネスに直結している米国ならではの事情だ。 <同じ国とは思えない〜!> 濱谷浩が撮り続けた裏日本の写真に、日本人はある種の懐かしさや郷愁を感じるだろうか。あるいは都会育ちの若者なら、同じ国なのにまるで異郷を見ているようだと驚愕するかもしれない。アメリカ人にとって「裏日本」にあたるような、懐かしい情景や異世界のように感じる地域はあるのだろうか。Keller、Maddox両氏に挙げてもらった。 Maddox氏は、ニューヨークでWilliam Egglestonの個展を観たAnne Tucker女史の話を引用してくれた。(アメリカ南部の)スーパーマーケットや、庭の土がむき出しの郊外の家々の写真をTucker女史の隣で観ていた女性が驚いた様子で「まるで異国みたい」と漏らしていたそうだ。 Keller氏も南部と言えば、と後を続ける。テネシーや、ミシシッピー、ジョージアの一部、ルイジアナといった州は、米国の他の地域とはずいぶん趣が異なる。シカゴ出身の父親もかつて彼自身の父と南部に旅行に行ったが、あまりにも辺鄙な町でびっくりしたと話していたのを思い出したとしみじみ語ってくれた。 濱谷も東京の都会育ちなので、裏日本の光景は懐かしいというより「日本にもこんな習慣が残っているだなんて」と驚きに満ちていたに違いない。濱谷の撮るリアリティは、米国人の鑑賞者だけでなく多くの日本人にとってもすでにシュルレアリスムの様相を帯びている。そう考えると濱谷と山本の二人展は案外「水と油」でもなく、並べて展示しても違和感が無いのかも知れない。 <アジア圏のアート写真の動向について> Gettyの写真部門は5、6年前から日本、中国、韓国といったアジア圏の写真のコレクションを強化している。Keller氏の解説によると、中国で写真は比較的新しい分野で、ここ15年ほどでアートとして認知されてきた。韓国も政治的抑圧の影響で、現代アートの市場が伸び悩み、アート写真の分野はやはり比較的新しい。しかし日本におけるアート写真の歴史は長く、素晴らしい作品が多く生み出されてきた。 Maddox氏は日本写真の歴史の長さと、日本のギャラリーや美術館の数は必ずしも比例していないと話す。写真に特化した美術館 (東京都写真美術館) が開館したのは僅か20年前で、アート写真の市場も日本には育っていないと指摘する。しかし1990年代以降、徐々に写真を扱うギャラリーや展覧会も増えてきた。日本は多くの優れた写真家を排出してきたにも関わらず、これまで個展や展覧会の機会が少なかったが、最近になってようやく写真家たちの作品が認知され、広く紹介されるようになってきたのは良い傾向だと分析している。 <米国で日本戦後アート展が花盛り> 2012年あたりから米国の主要美術館で戦後日本美術を取り上げた展覧会が急に増えた気がするが、もちろん伏線がある。Keller、Maddox両氏は日本の戦後アートは常に注目に値する存在だったが、何事にも時間がかかるものだと話している。1970年代にフランスで日本の前衛アートを取り上げた大規模展覧会があり、1990年代から、欧米の展覧会で少しずつ取り上げられるようになり、ここ数年は米国西海岸・東海岸の両側で「日本・戦後・前衛」がキーワードの展覧会が一気に花開いた。周期的に欧米の美術館やギャラリーで取り上げられていくなかで、日本の前衛アートを学ぶ研究者や日本戦後アートに詳しいキュレーターが米国内に確実に育ってきたのだろう。山本悍右はまだまだ研究の余地がある写真家だと思うし、同時代の戦前・戦後の前衛写真もさらに研究が進むことを願う。 <日本の写真は今後も要注目!> Getty美術館のポリシーとして、同美術館のコレクションをメインに展覧会を組み立てる、つまり収蔵作品が無いアーティストの展覧会はやらないということだ。インタビューした時点で日本人写真家20名ほどのコレクションを所有していたGetty美術館。今後も日本人写真家の展覧会をいくつか構想しているようで、現在は杉本博司展 "Hiroshi Sugimoto: Past Tense" (〜2014年6月8日)を開催中。今後の写真展にどの写真家が取り上げられるのか、注目したい。 ▲
by azzurrotree
| 2014-03-07 02:05
| Articles/掲載記事
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現在Getty美術館で開催中 (〜2014年1月5日) のAbelardo Morell (アベラルド・モレル) の写真展 "The Universe Next Door" を紹介したい。
![]() Abelardo Morell (1948- ) はキューバ・ハバナ生まれ。1962年、十代の頃に家族とともに米国に亡命、大学に入って写真を学び始める。初めはDiane ArbusやGary Winograndのようなストリート写真を撮っていたが、1986年の息子の誕生をきっかけに作風が大きく変化する。子供の目線で日常を切り取った写真 (下から見上げるようなアングルで撮った大きな冷蔵庫や、積み上げられたブロック玩具)も素晴らしいのだが、今回紹介したいのは1991年から始まったMorellの一連の代表作で、camera obscura (カメラ・オブスクラ)という紀元前まで起源を辿れる古典的な技法を取り入れている。 ![]() camera obscuraを文字通り訳すと「暗い部屋」で簡単に原理を説明すると、大きな箱の片面に小さな針穴を開けると、外からの光が穴を通り、穴を開けた反対側の面に像を結び、外の光景を内部に映し出すという仕組み。ピンホールカメラも同じ原理だ。遠近法が正確に得られるので、カメラが発明される以前から絵を描く際にも使われていた。小さな穴を開けただけでどうして暗室の箱に外の景色が映し出されるのか、著者の弱い頭では光学の理屈がまるで理解できないのだが。昔の賢人は偉大であった。 Morell初期の作品はアナログの大判カメラで撮影された。方法としては、まず寝室やリビングルームの窓に黒いプラスティック板を張って暗室に見立てる。プラスティック板に小さな穴をひとつ開け、対面の壁や調度品に外の景色を映し出す。室内に設置された大判カメラで、5〜10時間の露光時間をかけて撮影。 ![]() ![]() 後にデジタルに移行し、カラー写真で撮影するようになる。デジタル技術の進歩で露光時間も減り、プラスティックに開けたピンポールに特殊なレンズを設置することで、より鮮明な像を取り込めるようになる。プリズムを使うことでこれまで反転して壁に映し出されていた景色の向きが正しく映るようになった。 まずはタイムズ・スクエアのビフォアー(白黒)・アフター(カラー)から。 ![]() ![]() ![]() 初めは自室から始まったcamera obscuraのシリーズが、世界中のホテルや邸宅の部屋に広がっていく。日本なら掛軸、西洋なら絵画で、自然の景色や街の景観を自室の壁にこじんまりと再現するのが一般的だが、Morellはスケールが違う。部屋というパーソナルな空間に外の景色を丸ごと取り込むのだから。近所の家やビル、並木道の樹木といった、通常なら窓の向こう側に見える景色が窓の内側の壁に浮かび上がり、風景がインテリアの一部として組み込まれた部屋は、個人的で親密な空間からダイナミックかつ幻想的なボックス・アートに変わる。写しているのはすべて現実なのに、そこに広がるのはファンタジーの世界。代わり映えしない日常の世界が、カメラの魔術師の手にかかるとワンダーランドとして新たな命を与えられるのだ。 ![]() ![]() テントカメラを使って撮影されたシリーズは、部屋を飛び出してもっと大きな景観や景勝地といった自然の風景を撮りたいというMorellの願望から生まれた。Camera obscuraと仕組みは同様で、部屋という箱の代わりに大型テントを用いて撮影される。テントの頂きにレンズを取り付けて、像を結ぶのはなんと土の上、地面である。テントカメラで得られた画像には驚きの効果が。ひび割れて凹凸のある地肌や、雑草や枯れ草が生えた地面をキャンバスにして、川に掛かる橋や大自然の風景が投影されると、宗教画やヴィンテージの油絵、古い写真を模した加工が施されたような写真に仕上がるのだ。 ![]() ![]() ![]() 他にも書籍、地図、美術館、劇場、不思議の国のアリスなど、作風も異なる様々なシリーズで我々の目を楽しませてくれるMorell。アイデアの宝庫のような写真家だが、どのシリーズも基礎となっているのは子供のような好奇心だ。純真無垢な発想を実現すべく、カメラ技術の進歩を貪欲に取り入れ、実験を繰り返す中で生まれた作品の前に立つと、写真家自身が作品作りのプロセスを楽しんでいるのが伝わってくる。自らの想像力とたゆまぬ向上心で、Abelardo Morellはワンダーランドの領域を広げ続けている。 ![]() ![]() Abelardo MorellのHPで他のシリーズも是非チェックしてみて欲しい! ▲
by azzurrotree
| 2013-11-27 23:35
| Photography/写真
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Trans-Asia Photography Reviewという、アジア圏の写真の動向を学術的にレビューするサイトに、著者が執筆した濱谷浩 x 山本悍右展の記事が掲載されました。
タイトルはThe Pacific Rim Divide of "Japan's Modern Divide" ![]() ロサンゼルスのGetty美術館で開催された濱谷浩 x 山本悍右展の大成功を受けて、本展の総括、二人の写真家の軌跡、スタイルの違いなどを分析。 一方で記事のタイトルが示す通り、展覧会名 "Japan's Modern Divide" とパシフィックリムという言葉を掛け合わせて、海を隔てた米国と日本とでは濱谷浩 x 山本悍右展の評価に温度差があることを指摘。米国のみならず世界でも有数のコレクションを誇るGetty美術館で日本人写真家二人が大きく取り上げられ、2013年3月〜8月の5ヶ月間で36万人という驚異的な集客数を記録、展覧会の質・内容共に高く評価されたのとは対照的に、日本国内で会期中にこの展覧会を取り上げたメディアはほとんどなかった。Getty美術館で日本人写真家による初の大規模展覧会で、これだけ反響が大きかったのにも関わらず、異色の組み合わせだからという理由だけで、無視を決め込む日本独特の旧弊で惰性に流されっ放しのメディアの体制が透けて見える。内向きな日本のメディアを痛烈に批判した記事となっている。 特に毎日新聞の夕刊コラム「サラダボウル in the U.S.A.」で濱谷浩 x 山本悍右展に触れたおざなりな記事がもう目も当てられない酷さで、著者の英文記事の中で手厳しい突っ込みを入れておいた。いい加減使い古された感のあるクール・ジャパンをもじって「シュール・ジャパン」なんてタイトルを付ける時点でこの囲み記事のセンスを疑う。こんな記事が日本語による国内唯一の濱谷 x 山本展レビューだとは、日本人として恥ずかしい限り。 濱谷浩 x 山本悍右展の正当性を英語で世界に向けて発信できて、溜飲が下がった思いだ。 TAP Reviewに掲載された英文記事は論文並みの長文だが、Getty美術館キュレーターや、写真コレクター、地元の写真家などのコメントも拾っているので、大学教授や専門家が執筆する他のアカデミックな記事より多少は読み易いかと。ただあまりの長文にゲンナリされてしまいそう(笑)。 展覧会のレビューについては過去のエントリでも簡単に紹介しているので、そちらを参考にされたし。 濱谷浩 x 山本悍右展が日本でほとんど取り上げられなかった一番の原因は、日本メディアの怠慢に尽きる。過去のエントリ「報告会」でも少し述べているが、濱谷のリアリズム写真と山本のシュルレアリスムな作風が「水と油」で、二人展のアイデアを頭ごなしに否定されたのだろう。正直な話、著者も初めて耳にした時は「アメリカ人の突拍子もない思いつき」だと唖然としたものだ。 展覧会名の "Japan's Modern Divide" のDivideを「分断」や「分裂」といった否定的な意味合いにしか訳せなかったのも一因かもしれない。だがそれもGetty美術館が各メディアに配信したプレスリリースに目を通せば、日本写真史は1930年代に新興写真という国際的な運動が日本に紹介され、そこからリアリズム写真と、前衛写真に二極化し、濱谷浩と山本悍右は二つに分れた流れを代表する写真家であることが簡単に読み取れるはずなのだ。 おのずと "Japan's Modern Divide" は「日本近代写真の分岐点」とでも意訳できそうなものだが。日本のメディアはA4用紙1枚の英文プレスリリースも読む気力がない怠惰な集団なのだろうか。外側から見た日本、異文化の価値観を真摯に受け止めて日本国内に紹介できる柔軟な新聞・雑誌といった媒体が無いのが残念だった。 濱谷と山本の違いばかり強調してしまったが、実際に展覧会で二人の作品を見ると、目指す方向性こそ違えど、新興写真の国際的な運動によってもたらされたクローズ・アップ、フォトモンタージュなど当時の最新の技法を駆使して作品を生み出していたところに、同じ時代の空気を吸い、写真界を牽引していた二人の共通点を見いだすことができる。 日本人の固定観念を覆し、アート界やアートを取り上げる媒体に新鮮な風を吹き込む意味でも、濱谷浩 x 山本悍右展は日本でも巡回展をすべきではないだろうか。 ![]() ▲
by azzurrotree
| 2013-11-20 02:24
| Articles/掲載記事
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6月はロサンゼルスでした。
LAのアートイベントを少しずつ紹介していきたいのは山々ですが。 8月15日まで英語の原稿書きで切羽詰まってます(汗)。 しばし文章短め&写真多用のエントリが続くカモ。お許しください。 『濱谷浩&山本悍右展』報告会。 以前の記事はこちら → 渾身のレビュー オープニングの様子 ![]() "Japan's Modern Divide: The Photographs of Hiroshi Hamaya and Kansuke Yamamoto" をようやく生で観られて感動。しかも3回も。Getty美術館の写真展示スペースは広大なので、前半は濱谷、後半は山本の作品を各100点ほど展示する構成が、まるで個展を二つ観に行ったような気分でお得感満点。スケールの違いを見せつける展覧会だった。 今回1番の目的だった濱谷&山本展のキュレーター2人にロングインタビューも無事終了。 多忙を極めている中、1時間半も丁寧にインタビューに答えていただいたJudith Keller氏 (senior curator)とAmanda Maddox氏(assistant curator)に心から感謝。 ![]() 英語圏の読者に向けて記事を書くよりも、本当は日本の読者に周知したい展覧会なのだが。 日本のメディアは国内のイベントにしか興味が無いようで、嘆かわしい限り。いつからそんなに視野が狭くなったのか。発信力の弱さが紙媒体の衰退に拍車をかけているのでは? 山本のシュルリアリスムの作風と、濱谷のリアリズムの写真は一見「水と油」であり得ない組み合わせと最初は面食らうが、1930年代に展開された新興写真の影響で、ヨーロッパからもたらされた革新的な技術や技法が日本の写真界にも広がり、やがて写真の潮流が報道・ドキュメンタリー写真と前衛写真に二分化していく激動の時代を代表する写真家が、濱谷と山本だと理解できれば至極理にかなった展覧会なのだ。このたった数行の日本語でも展覧会の趣旨を説明できるメディアがあれば、この展示の歴史的な意義は日本人読者にも十分伝わるはずだ。 ![]() 展覧会に併せて、識者の対談イベントも開催された。 『日本のシュルリアリスム』をテーマにカリフォルニア大学バークレー校比較文学、映画・メディア学科教授のMiryam Sas氏と、ハーバード大学エドウィン・O・ライシャワー日本研究所研究員のJohn Solt氏の対談が行われた。 ![]() テーマがマニアックというか局地的なので、聴衆も他の美術館のキュレーター、写真コレクター、アーティストと美術周りの関係者が多く、皆熱心に耳を傾けていた。 ![]() ![]() Getty美術館のこんなに大きな箱で展覧会を開催しているので、帰国展として内容をそっくりそのまま日本の美術館で開催すれば、ずいぶん楽なのに。 日本の美術館も積極的に打って出ないと。 ![]() ちなみに濱谷&山本展の出口にあるGift Shopでかなりシュールで笑えるお土産Get! (お値段はあまり可愛くない……) ![]() ![]() 『濱谷浩&山本悍右展』、会期は8月25日まで。 ![]() ▲
by azzurrotree
| 2013-07-20 05:41
| Photography/写真
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だいぶ時間が経ってしまいましたが(汗)。
Getty美術館で開催中の二人展 "Japan's Modern Divide: The Photographs of Hiroshi Hamaya and Kansuke Yamamoto" のオープニングの様子を写真でどうぞ。 前回UPした展覧会のレビューはこちら。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() Judith Keller氏) ![]() ![]() ![]() 英語で内容の濃い作品解説をされた金子氏) ![]() 地元TV局で放映されましたー!(4:18から展覧会の紹介映像)。 ![]() ![]() ![]() 著者は6月にロサンゼルスに行くので、この二人のキュレーターに インタビューを敢行予定!乞うご期待。 ![]() ![]() ▲
by azzurrotree
| 2013-05-04 04:24
| Photography/写真
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ロサンゼルスのGetty美術館で日本人写真家、山本悍右と濱谷浩の大規模展覧会 "Japan's Modern Divide: The Photographs of Hiroshi Hamaya and Kansuke Yamamoto" が始まっている (2013年3月26日〜8月25日まで)。
![]() 山本と濱谷について多少なりとも知識があるなら、さらに言うとまともな日本人なら、この二人展はまず思いつかない組み合わせだろう。 狭量な著者も二人展の話を聞いた時に、スタイルが全く異なる写真家を対にする企画に違和感を禁じ得なかったものだ。しかし蓋を開けてみれば、この対極に位置する二人の写真家を並列して紹介した試みは、結果的に非常に成功している。 Getty美術館のアメリカ人キュレーターたちは日本人が陥りがちな固定観念や下手な遠慮とは無縁であった。 本展覧会は1930年代に興った実験的な前衛写真の大きな潮流と、社会的な報道写真に二分化していく戦前戦後と続く日本写真史を、同時代に活躍した山本のシュルレアリスム写真と濱谷のドキュメンタリー写真を通じて、客観的かつ見事に捉え直してみせた。 濱谷浩 (1915-99) は東京都出身。 1940年頃から新潟の農耕儀礼を撮り続けた代表作『雪国』(1956) は戦後まで続くライフワークとなった。 ![]() 日本海沿岸の農村・漁村の風景と人々を撮影した『裏日本』(1957) と共に、民族学的な記録として貴重な作品集となる。 ![]() 1960年、アジア人初のマグナム・フォト寄稿写真家になる。安保反対デモ運動を大衆側に立って捉えた『怒りと悲しみの記録』(1960) は国内外の反響を呼ぶも、安保闘争の取材で人間性に幻滅、以降は世界各地をまわり自然をテーマにした作品を撮る。 ノンフィクションの圧倒的な力強さを持つ濱谷のドキュメンタリー写真だが、今なお斬新な光を放つ山本の前衛写真と並べてみると、日本の失われた原風景が非現実でシュールな光景に化けるから不思議だ。美しい風物を美しく撮ってリアリズムを追求するのが濱谷なら、この世に存在しない風景を撮ってリアリズムに揺さぶりをかけるのが山本だろう。 濱谷は安保闘争を取材した写真集で政治的な写真家として知られるようになったが、実際は戦中・戦後と古き良き日本の象徴である農村風景 (特に稲作は日本国の根幹を成し、国家繁栄の象徴であった) を撮り続け、ナショナリズム的な文脈の中で無難な題材に終始したという意味では、決して政治的な写真家ではなかった。 むしろ戦時中に特高の弾圧を受けながらも、お国の役に立たない無用の美を尊ぶ前衛作品を制作し続け反政府を貫いた山本こそ、反骨の精神を持つ極めて政治的な写真家であった。 「事実を記録する」という写真の第一義から、どこまで写真表現の可能性を広げられるかを追求した山本悍右に本ブログは焦点を当てたい。 山本悍右 (1914-87) は名古屋市で写真機械商と写真館を営む家に生まれる。 1930年代の名古屋はシュルレアリスム運動の拠点であり、山本悍右という早熟な才能を生んだ前衛都市であった。 16歳頃から詩作を始め、1931年に新興写真グループ「独立写真研究会」に参加、本格的に写真制作に取り組む。同時期に、新聞記事の断片と女性の唇をコラージュした『或る人間の思想の発展…靄と寝室』を発表。17歳にしてすでにシュルレアリスムの手法を獲得していたことが分かる。 ![]() 写真家、画家、詩人であった山本の作品はマン・レイ、ルネ・マグリット、イヴ・タンギーなどのシュルレアリストたちに影響を受けつつも、独自の美意識で写真表現において様々な手法を用い実験を繰り返した。 例えば、鳥籠と電話機という個々のモチーフはごくありふれた日常のアイテムだが、組み合わせることで、超現実とは往々にして現実の裂け目から唐突に現出する、と言わんばかりに非日常的なオブジェになり得る。 ![]() 砂漠の上に浮かぶ女性の胴体。意識・無意識の境に幻想的な風景が立ち現れる。 ![]() 写真連作『空気の薄い僕の部屋』は視覚詩(ヴィジュアル・ポエトリー)として、ショート・ストーリーを構成。 ![]() ![]() 良質で第一級の作品を作り続けていたにも関わらず、日本国内でも知名度が低いのは、山本には写真で名を馳せたいという野心が微塵も無かったせいである。金儲けの為の商業的成功に背を向けたのは、代々続く資産家の家に生まれたことが大きいが、それ故にプロモーターに媚を売る必要もなく、大衆の好みに迎合することもなく、純粋に前衛的な写真表現を追求できた。 作品を発表する場は写真雑誌、詩誌、グループ展に限られていたが、本人は十分満足していたようだ。 山本自身も名古屋で前衛グループVIVIを立ち上げ、20代にシュルレアリスム詩誌『夜の噴水』(1938-39)を編集・刊行するも、シュルレアリスムが反体制的な共産主義と結びついていると見なされていた戦時下時勢に、特高の弾圧により廃刊に追い込まれる。 北園克衛による主宰詩誌『VOU』にも参加。 VOUクラブはデザイン、詩、写真、評論などで一流のアーティストばかりを集めた前衛芸術至上主義グループで、山本もシュルレアリスムの写真を発表した。 北園で思い出すのは、2010年に世田谷美術館で開催された「橋本平八と北園克衛展」の展示室レクチャーに参加した時のことだ。レクチャー中に参加者のひとりが「例えば古賀春江なんかはシュルレアリスムの模倣に過ぎないのでは」という趣旨の質問をした時、北園研究家で山本悍右の研究家でもあるジョン・ソルト氏がすかさず立ち上がって発言したのが印象に残っている。 「シュルレアリスムは手法であって、それはカメラみたいなもの。 カメラはただの道具だから、使いたい人が自由に使えばいいんです。 シュルレアリスムという道具を使って、何をどう表現するか。 大事なのはそういうことです」 と流暢な日本語で諭すような穏やかな口調で仰ったのが今も耳に残っている。 山本を初め、戦前戦後に活躍した日本人シュルレアリストや前衛アーティストは西洋の模倣ではないのか、と国内外問わず懐疑的な意見が未だに多いが、上記に紹介したソルト氏の発言は、これら無理解な意見への明快な回答を示している。日本の芸術家たちは西洋の手法を取り入れつつ、それぞれ独自の作風を展開していた。 ちなみにソルト氏による山本悍右の論評 "Perception, Misperception, Nonperception" (英文のみ) には、本展覧会には出展がない山本の写真作品も掲載されているので参考までにどうぞ (テキスト上の青字をクリックすると写真が見られる)。 山本の写真作品は、フランスのシュルレアリスムを日本の鑑賞者に紹介する役割も果たしたが、同時にその写真スタイルはエロティシズムや痛烈な社会批判を内包しつつも、優雅で洗練され、ユーモアもあり独自の進化を遂げている。 今、ニューヨークで盛んに開かれている戦後日本のアヴァンギャルド展で、日本にも優れたシュルレアリストや前衛アーティストがいたと周知されるようになった。 西洋は日本のシュルレアリスムと前衛を「発見」し、ようやく真剣に解釈・評価し始めた。 山本悍右展『不可能の伝達者』は2001年に東京ステーションギャラリーで開催された。 ![]() 当時テレビや雑誌にも取り上げられ、それなりに注目された展覧会だったが、写真という比較的新しい芸術が当時まだ日本で認知されていなかったのか、はたまた欧米で知名度が低いと日本での価値も上がらないという西洋偏重のせいか、その後なんと10年以上も山本の名はアートシーンから立ち消えていた。 2001年展覧会の来場者数は延べ8,000人であったが、Getty美術館で5ヶ月間に渡り開催される本展は25万〜30万人の集客が見込まれる大型展覧会だ。注目度も飛躍的に高まるのは必至である。 Getty美術館での展覧会を機に、日本国内でも山本悍右の評価が高まり、数年後に凱旋帰国展が巡回することを大いに期待したい。 Gettyでの展覧会オープニングの様子、現地から写真が続々と届いているので次のエントリにて紹介。→Click! ![]() ▲
by azzurrotree
| 2013-04-18 03:21
| Photography/写真
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大家利夫展がらみで、方々で貴重な本を見せていただく機会に恵まれた。
本つながり最終章はGetty Research Instituteへ。 石油王J. ポール・ゲティのオイルマネーで建設されたGetty美術館。 LAが一望できる山の頂にある白亜の美術館には、西洋絵画、彫刻、装飾写本など 世界有数のコレクションが収められ、近年は写真のコレクションにも力を入れている。
キュレーターを抱える研究機関で、専門図書館には膨大な量の美術研究資料、稀少本、 展覧会カタログ、アートブックなどが収蔵されている。 GRIの現代美術キュレーターJohn Tain氏が、我々一行だけのために特別に計らって、 価値ある稀少本を出してくれた。 ![]() 挨拶するJohn Tain氏の凛々しいお姿) GRIはセキュリティーがかなり厳しい。受付でゲスト登録するのはもちろん、 カードキーが無ければエレベーターにすら乗れない。各部屋に出入りする時も いちいちドアにカードキーをかざす。タイトなセキュリティーをかいくぐり(?)、 ついに地階に到着、稀少本をご開陳。 ![]() 計4冊見せていただいたが、最初の2冊はJohn Tain氏の華麗な手さばきと、 貴重な本にぼんやり見入ってしまい、カメラを取り出すのを忘れてしまった (汗)。 ひとつは恩地孝四郎が装幀を手がけた戦前の稀少本『新露西亜画観』(1930)、 ロシア構成主義の影響をもろに受けた表紙が印象的。状態はパーフェクト。 続いて、画家アンゼルム・キーファー(Anselm Kiefer)のフォトブック "Die Beruhmten Orden der Nacht (The Renowned Order of the Night)" (1996) 巨大な画面に、人間の負の本質に迫る暗澹とした絵を描く画風で知られる画家。 しかし本書は、ひまわりの白黒写真に素描と絵を施したアートブックで、 もっと親密な感じがした。長い茎を伸ばして咲くひまわり畑の写真に白い絵の具で 線を引くと、星や星座が立ち現れる。枯れたヒマワリの中心にクローズアップすると、 ぎっしり詰まった種が漆黒の夜空に変わり、無数の白い星屑が散りばめられた宇宙に 見る者を誘う。光と闇、天と地、生と死、重層的なテーマに引き込まれた。 3冊目は、光のアーティストとして有名なオラファー・エリアソン(Olafur Eliasson)の コンセプト・ブック"Your House" (2006) 。 454枚のページをレーザーでカットして、コペンハーゲンにあるエリアソン邸の内部を 正確に再現。部屋を撮影したネガを紙に焼き付けて、レーザーで切り出しているので、 これも光の作品といえる。 ![]() 立ち現れる。 ![]() ![]() ![]() 最後は"Al Djazair and Tunis" (1881) ![]() 107枚のアルブミン・プリントで構成されたフォト・アルバム。 北アフリカのマグリブと呼ばれるアラブ諸国の建築や風景、風俗を収録。 ![]() 内なる自己に比べれば、見た目などさして重要ではない」の意が書かれている。深い……) ![]() 彫刻が施された木製の函入り、なおかつ装幀の豪華さから、アラブ諸国の富豪か 身分の高い政府高官のために編纂されたアルバムと見られる。 ![]() ![]() ![]() ちなみに大家氏は英語は解さないがフランス語に堪能。 John Tain氏が流暢な仏語で大家氏に応じる様子が素敵過ぎる〜。 ![]() 関連ブログ: 直前Preview!大家利夫展@LACMA美術館 大家利夫展: Exhibition Walkthrough 本つながり@The Scripps 本つながり@The Scripps(前回より続く) 本つながり@Kitty Maryatt's Atelier ▲
by azzurrotree
| 2012-10-03 16:00
| Books/装幀
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